日々雑論 ひさしぶりだなあ

まあ、約一月、頭を冷やすのと自身のセンスを確かめるために意図的に休んでいた訳ですが、別に世界革命に目覚めて中東へ旅立ったりとかいったようなことは無くただテキトーに本を買ったりゲームしたりしてたりと、なんら今までとかわらねえ生活を送っていたりして、かえって退化してんじゃねーの?という気がしないわけでもなかったりする。
それはさておき
まあ、なんで突然またやりはじめたんだオラ?と言われても返答に窮するんだけど、どーもミクシとかいろいろ見ていて、死刑問題についての闇雲な死刑賛成の声をみてたりして、どーもなあ、と思ってたりしていたんだけど、なんかうまいこと説明ができなかった、というか賛成にしろ反対にしろどっちもなんか違和感があって、いまひとつ馴染む事ができなかった、というところにある。
で、よくよく考えてみて、自分なりの落としどころというか、結論というか、とりあえずの形として見えてきたことがあったので、備忘録的に記しておこうと思ったりしたのが大きい。
で、世間一般に見る「死刑賛成」の声を見てみると、

1.改心のしようがないから死刑が当然
2.死刑に値するような凶悪犯罪を犯したのだから、相応の罰を受けるべき

という声がかなり大きいような気がするんだな。これが
で、これらから見て取れる気がするのが、犯罪を犯した当人に対する刑の執行の目的、という奴を考えてみるとかなり判り易くなりそうな気がする。
1にしろ2にしろ、犯罪を犯した人間を「刑罰」によって「更生」させようとする意図があるように感じる。で、「更生」不可能な場合は「死刑」を適用、という感じを受けるわけで。
えーと、何が言いたいのかといいますとですね…
「ごめんなさい、私が悪うございました」と心の中から悔い改めれば、ソレデオシマイという意味にも取れるのだ。で、「ごめんなさい、私が悪うございました」とならない(あくまで我を曲げない)場合、極刑を用いられる、と。
それに対してシケイハンタイを唱えている方々のものを見ていると、この「更生」というシステムから物を見ているかどうかと言われると、若干弱いという感じを受ける。まあ、そりゃそうなんだけどね。
翻って「シケイハンタイ」の発想には「犯罪」という社会的ダメージに対して「刑に服する」事で、受けた社会ダメージを回復させるという発想が根底にあると思われる。だからこそ、犯罪者を死刑にしても人的資源の浪費になるだけであり、マイナスとなってしまった状態の穴埋めが出来なくなる訳だから、当人が反省しようがしまいがそんなことに関係なく、社会にダメージを与えた分はしっかり還元させようとする訳だし、「当人」の「更生」が目的なわけでもないのでこの発想でいけば時効なんざ成立するはずも無い。
そうやって考えてみると、「シケイシケイ」と事ある毎にわめき散らす方々が、どういう方々かが大体わかってくるし、そういった方々の持つある種の気持ち悪さもなんとなく理解できそうな気がする。