日々雑論 たまには普通に落ちついて…歴史修正主義についての考察 1

まあ、ネトウヨ幼稚園児既知外デンパ君達をからかって遊ぶのも少し飽きましたし、沖縄米軍兵の女子暴行折込チラシばら撒き事件に関しては今でも凄く怒ってますけど、少し頭を冷やす意味でも…
ここは少し一服します(笑)
勿論、戦前から今に至るまでの数々の非道についてはしっかり調べ上げ、反省と謝罪を行わなければならないのは周知の事実であり、その事については全く異論の余地もない。その延長線上として過去の日本が行い、未だ未解決である数々の非道(知ってるだけでもあまりにも多すぎて記載しきれません)についても反省と謝罪をしなきゃならんのですが、どうもそれらの「あったこと」を「なかったこと」にしてしまいたい「歴史修正主義」なるものがあります。
左翼だ右翼だわあわあぎゃあぎゃあといろいろ周りが五月蝿いですが、本当によくわからないのが、「歴史修正主義」なるものですねえ。
実際まったくなんでこんなものが通用しているのかが全然わからない。
学生時代、「右翼」と言っていた知り合いが居ましたが、まあ、普段はかなり距離を置いてましたがアルコール入ると結構同調しちゃったりして、大杉栄がどうよ、石原莞爾があーだ、226の磯部はどーした、抗日戦線の八路軍はこーしたとか、取り留めのない事を酔っ払いながらくっちゃべってた事を思い出します。
彼は、いわゆるネトウヨ幼稚園児既知外デンパ君とは全く違い、よく本を読んでいる頭のいい人間でしたから、ネトウヨというのは玉石混合で、こういった人もいるのかなあ?とは思ってましたので、まあ、「歴史修正主義」というのは螺子の方向がずれただけなんだろうなという非常に大きな勘違いをしてたんですよね。
右の方に信者の多い石原莞爾なんかでも、極東軍事裁判で「俺の言うとおりやってりゃ英米には負けなかった」と豪語して法廷上で自身の戦略論をぶちまけてたみたいですし。この辺昔読んだ石原の本の記憶だけで書いてますので出典を調べておきますが。
で、なんでこんなことを思ったのかというと…
こっち(右翼)を基準とする代表的な方々の言動なり当時の社会情勢なりを多少なりとも首突っ込んで調べていっても、どう逆立ちしたって「あったこと」を「なかったこと」にできないんですよ。
あの辺の事に首突っ込んで調べると、必ずどこかで日本軍の「虐殺」なり何なりにぶちあたるんですよねえ。
例えば…石原莞爾を調べたとして、信奉者に辻政信が居たと、で…辻を調べていくと…バターン死の行進シンガポール華僑大虐殺につながるんです。
こういった連鎖が「歴史修正主義」なるものには全く感じられないんですよ。
小林よしのり戦争論みて強く強く感じたんですが、いきなり「珍説」やら「妄動」「幻想」が一発一発でぽん、ぽん、ぽん、と出てきて、じゃ、それに対して連鎖して首突っ込もうとすると…何も無い。まあ、無ければまだ良いほうで酷いときには幼稚園児のダダコネになってしまっている。
こんなもんでころっと逝ってしまう馬鹿なんているんだろうか?と
とりあえずここまで(笑)