日々雑論 [漫画][日本人論] 「王様の仕立て屋」14巻

とりあえず14巻まで来ました、が、単純にゲラゲラ笑ったし、一番個人的にすきなのがジラソーレ社お家騒動編の壊れっぷりとパリ編の壊れっぷり…なんですが、で、13巻と14巻で軌道修正してるように見えるんですね。
 ただ…ねえ…
 14巻はちと疲れました。
 単純に主人公の弱点を指摘してる「だけ」ではないような気がするんですよね。読んでると。
 まぁ、そこまで計算していないとは思うのですが、どうも「ニホンジン」と「外人」の差を見てしまって仕方が無いんですよ。で、考えれば考えるほど寝れなくなってしまってねえ…鬱病だと言うのにこれでは駄目だ。うん。
 主人公「織部悠」はナポリのしがない仕立て屋ですが、仕立ての技術は超一流、更にお客様への配慮も完璧…で、周囲を取り巻いていろいろあって色々流れていく、と言うのが主な筋立てなんですが…
 14巻の最後を読んでて「はた」と考えてしまったんですよ。
 トヨタ」と「フィアット」の違いに似てないかい? 
 ネタばれになるので詳しくは述べませんが、車好きなら多分「ピン」と来ると思います。
 「トヨタ」が受けた一番の理由は「壊れない」「癖が無い」「いたれりつくせり」ですな。あたしゃ偏屈なんで地元はトヨタばっかですが敢えてレガシィにしたんですけどこれがまぁ、やれドレが逝かれたアレが壊れた…はしょっちゅうで、今では慣れっこになってしまったので「ま、しょうがないかスバルだし」と軽く流せるようになりました(笑)
 「車は壊れる」という有難い教訓も学ばせていただきましたしね。 話がずれました。
 で、また1巻から読み直してみたんですが、確かに「技術」や客の状況を「読む事」に対するエピソードは沢山出てきます。で、周囲を目覚めさせたりいい雰囲気にしたり…となるのですが、「自己主張」いわば当人の「個性」の領域ですね。これに対しての言及がまるで無い。あったとしても否定的に使われているんですよ。で、主人公もその事を確実に意識している訳で。
 書いてて判らなくなってきましたが、主人公がちょこちょこ無理難題を頼まれて「〜を真似ろ」「〜風に出せ」との注文を見事にこなすのですが、「コピー」は所詮「コピー」なんですよね。で、「コピー」であるが故に技術は超一流にもかかわらず、傑出した個性が無いため技術屋で止まっているのです。
 「個性を出す教育」とやらが叫ばれて、「画一的な物ではなく、個性を出すように」とあれだけ叫ばれ続け、またそのように教育されてきたにもかかわらず、「個性を求めない話」を心地よく取り上げている自分に改めて気がつき驚いた訳です。 「個性」を殺す「マスゲーム」はアジアの得意分野ですが、露骨なそれに対しては非常な程の嫌悪感を抱くくせに、こうやってオブラートで包まれて砂糖菓子の中に入れられてしまえば逆にそれが心地よく感じてしまう…という所に気がついて、やはり「ニホンジン」なのだなぁ、と思ってしまった訳で。
 で、更によくよく考えると、これはあからさまな邪道なのですが、「偽物「イミテーション」を偽物「イミテーション」として楽しむ」ネタがそういえばないなぁと。偽物を「本物」と騙されて使うのは確かに格好悪いと思うのですが、「それと知ってて敢えて使う」というのに洒落っ気を感じたりしますし、バカ道楽が悪趣味極まりない格好で出てくるのですが、その「悪趣味を敢えて楽しむ」洒落っ気なんかはどうなんだろう…とか、ぼんやり考え込んでしまった訳です。
 まぁ、舞台がクラシックの正統派だからなのでしょうが…色々考えさせられます。