日々雑論 [シンガポール華僑粛清][近代東洋史] 皇国教育とおちゃめくん その1

 ひー、それにしてもバテました。
 一応通院しながらですが、ワープア決定ツー事で、どーにか前の会社にもぐりこむ事が出来ましたが、条件はハッキリ言って「悪い」です。でも「悪い」なりにそこそこ努力してそこそこやっていかなければならないのも事実なので、頑張っていこうと思います。いつまでも傷病手当では洒落にならないからね。自分に良くない。
 それはさておき
 シンガポール軍政においてはまだいろいろ言いたい事もあるのだが、今日は肩の力を抜いて、おちゃめ君のお話でいってみよーかと思います。おちゃめ君とは、小さいお子さん達ですな。「王様は裸だ」とちまいお子さんが言い放って初めて王様が気付くという「裸の王様」は有名すぎて誰も見向きもしないでしょうが、まさにシンガポールにおいては「皇国」こそが「裸の王様」だった訳で。
 以下、青木書店「日本軍占領下のシンガポール」から抜粋

 日本の陸軍省が対南方政策として定めた10大政綱の一つ日本語教育のため、昭南島軍政監部は三月中旬、一つの通告を発表した。それは、英植民地政府から補助金を貰っていた華文学校の教師は、すべて郵政ビル5回の軍政監部教育局へ出頭し登録せよ、また補助金を受けていない華文学校の場合は、好調が代表し出頭して報告せよ、という命令だった。当時、華文学校の教師達は既に生き延びるために各地へ逃れていて、民族意識の強い人は登録に行こうとしなかった。また、かつて抗日救国運動をやっていた者はなおさら、自ら網の中に飛び込もうとはしなかった。このため、予定していた授業開始日、4月27日になってもまだ開校できず、以下の25校だけがやっと登録を済ませたに従った(略)

なんともお粗末な話ですな。大粛清でインテリを狙い撃ちしたように殺害しておきながら、インテリの代表格である教師を集めようという発想自体が頭がおかしいんじゃねえの?どうかしてるぜオイとしか言いようが無いのですが、因みに開校予定の数は八十数校を目論んでいたようです。その4分の1と一寸という悲惨としか言いようが無い有様ですが、肝心の中身はどうだったか、見てみるとしましょうか。

昭南特別区が設けたいわゆる普通学校(男子と女子)は、一律に日本語(日本文字のカタカナ)と若干の中国語を教えただけで、他の教科は全く無かった。体操はただ朝の体操だけで、まず「東京崇拝」または「日章旗に敬礼」をしなければならなかった。教員は午後または夜間に、本願寺あるいはクィーンズ街の日本語学校に通わねばならなかった。今日学んだ1課を、翌朝はオウム返しに生徒に読んで聞かせ、教えるのだった。比較的頭のいい生徒は先生にあれこれ質問したが、教員はただ顔を真っ赤にして、首を横に振り、まだそこまで習ってないと答えるほか無かった(略)

これはいわゆる「基礎教育」と思われますが、どうよこれ?
今の日本の教育が荒れているといわれてるけど、ここまで酷くないでしょうに。でも案外屑ウヨ共のアイディンティティは意外とこの辺りにあったりして、「皇民化政策」の哀れな犠牲者と言えるかもしれません。可哀想にねえ(嘲)
まあ、いわゆる「皇民化政策」の一環でしょうが、かくも惨めで無様な様子はもはや笑いを通り越して呆れて物が言えませんな。あまりにも悲惨すぎてギャグにすらならん。長い長いイギリスによる統治下にもかかわらず己のアイディンティティを決して失わず、したたかに生活してきた華僑が、たかが異常な暴力装置と強権を振りかざして狼藉を働く東洋鬼がやんちゃしたってそんなもん出来る訳が無いのがどうして判らないのか不思議でならんのですが…判らなかったからやったんだろうしなぁ…この項続く。