日々雑論 ロシア・アヴァンギャルド

 「ゲイが術を使うのか?」
 「そうなんですよ。ゲイが術を使ってホモが忍術を使って」

 のっけからパタリロの引用で(何巻かは忘れました。すんまそん。立ち読みで読んだだけだしあれは多すぎる)なんのこっちゃと思われるかもしれませんが本題は真面目な話です。
 と、ゆー訳で、「ロシア・アヴァンギャルド」を今ゆ〜っくりゆ〜っくりと読んでいる最中なのですが、まああちきの立ち位置というか守備畑が違うので苦労してますけどこれがなかなか面白い。
 これはアチキだけの思いだけかも知れないし、ただの勘違いなのかもしれないけれど誤解を恐れずに言うと、どっちかつーと「共産主義」とゆー響きはゲージュツとかなんやらとかほにゃららとかはまるで無縁の「生産性」「合理性」第一!みたいなイメージが常に付きまとうんだけど、ロシア革命時は決してそんな事は無く、演劇、テアトル、彫刻など、ありとあらゆる既存の価値観を破壊して飛翔する実験芸術が沢山沢山それこそ春の訪れを待って芽が出るように吹き出ていた訳で。
 でもまた誤解を恐れずに言うとこのような運動が「体制の維持」に対して最も邪魔である事もまた事実であり、その後、テアトルはアジテーションや党の宣伝に利用され、詩や文学は党の主流から外れたものはことごとく弾圧、消滅されてしまうのだが、一時的とはいえNEP(裕福層)の台頭なんかもあったりして、ロシア・アヴァンギャルドという芸術運動そのものが分裂、弱体化し、その後の反革命へのプロセスの中で自然消滅してしまったと見るのが正しいように思えてきた。
 勿論権力側にとってはこういった運動は自身の権力闘争にとって邪魔者以外の何者でもなく、利用するだけ利用して牙を抜き、毒を抜いて飼いならす事が出来なければ殺してしまわざるを得ない訳で、運動としてのロシア・アヴァンギャルドの運命もそれから逃れる事はできなかった訳なのだけど、ロシア・アヴァンギャルドもただの徒花としてくくるのはどうも抵抗があるわけだ。
 ソヴェト連邦崩壊からもう何年だっけ? 記憶の彼方にあるのでもう忘れちゃってるくらいで「あーそんな事もあったねえ」という位の感想しか思い浮かばないのだが、ロシア・アヴァンギャルドのような熱気やら何やらを見たり聞いたり調べたりするに「芸術としての革命の熱気」を実体験できた人たちをとても羨ましいと思う自分がいる訳で。
 自分なんぞは何度も繰り返して言うように、ただの「腐れ左翼面白主義」な訳なのだが、こういったロシア・アヴァンギャルドのような「芸術と革命との熱気」の周辺でおこぼれを貰い、それで楽しんでいるという感じがしている。まあ、面白いから良いんだけどね。

ロシア・アヴァンギャルド (岩波新書)

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