日々雑論 とりとめも無い事なんだろうけどね

 まあ、某宮崎のコメディアンの引退宣言とか、某空軍トップの2ちゃんねるカキコとかが連荘で露になったおかげで、ウサンケイのキチガ○客員記者とかの最近のデンパ漁りには事欠かない状態なんですが、そんなんばっか追いかけても疲れるので、世間の喧騒からちと離れて、少し元に戻す事にしましょかね。「怪物と戦うものは、その過程で自分も怪物となる事がないよう気をつけなければならない」というニーチェの言葉もありますが、このまま続けていたらアチキみたいな悪趣味ハンターも、既に大量の害毒を煽ってしまっているので危険と判断したまでです(笑)
 と言う訳で、とりとめもない事をテキトーに。
 で、ネタに挙げるといってひたすらほったらかしにしておいた事などをいい機会だから挙げてみようかなと。
 前々から気にはなっていたんだけど、「性差別」を論じて問題にしてる方々ってどっちも「ステレオタイプ」に陥ってるなあ、と思ってしまう訳だ。確かに未だに職場とかでの女性差別は確実に存在するし、それは是正されなくてはと頭ではわかっていてもヤローと違って女性が定年まで働いて云々かんぬんと言う事に対して良し悪しは別にして若干の違和感を感じる時も無きにしも非ずな感じもある。
 まあ、男女の性差というか、思考や嗜好なんかは、その良し悪しはまったく別の話であるし、そんなものを良し悪しで区別できる訳は無いのだが、基本においてはやはり存在すると思ってはいる人間なのだけど、どっちにしてもどーもしっくり来ないと言うのが本音ではある。これが「歴史修正主義」とかいった妄言に対してなら、妄言自体を否定すれば良いだけの話なので簡単なのだがそうも行かないところに難しさがあるわけで(笑)
 何にしてもステレオタイプな停滞あるところは硬直化、ついには破綻しかないというのは常々思っている事なんだけど、なんかどっちの方にしても硬直気味な感じしか受けないんだよな、というのが正直なところであるが、村上春樹の「村上朝日堂」なんかは「ステレオタイプ」の男性像から頭二つばかり抜け出ていて非常に楽しく読めたのだが。主夫時代の話とかね。
 まあ、村上朝日堂の一連のエッセイは結構面白かったし、なるほどねと思うところもしばしばあったし、今後の性差を考える上での可能性としてもこれはアリだな、と思った訳で。その一方で、大いに可能性を感じてくれたのがキャシー・アッカーだったりするわけだ。

(略)アッカーの小説の中の女達が、できれば暴きたくない、認めたくない、死ぬまで触れずにおきたい、時に自分でもどうして良いかわからなくなる流動的な層に手を突っ込み、えぐり出し、容赦なく曝し、押しても駄目なら押しまくる様は、執拗でみっともないほどやかましい、ウンザリする。(略)
 つまりここには、母性愛に満ち溢れ慈愛に輝き正義を貫くひたすら強く賢い女は居ない。そんなフレームには収めて飾っては貰えないし、当人達もそんな事は望んではいない。眠っている子をたたき起こせば、本人にも周りにも迷惑である上、何と言っても本人にしてみれば苦しい。けれど、この性差別社会でアッカーのように絶えず肉体的感情的覚醒を迫って生々しい自己探求を行っている女性のほうが、男におととい来いと言い続け(言いたいのはよくわかる)ひたすら女を美化しようとする女よりずっと果敢な存在だし、そういう意味で非常にタフだし、セクシュアリティを論じあっていく上で発展性があると私には感じる(略)

 キャシー・アッカー著「ドン・キホーテ」における渡辺佐智江氏のあとがきの一部抜粋であるが、ここに村上春樹のエッセイ同様、硬直化して停滞しきっているフェミニズム論やジェンダー論に対して、一つの答があるように思う。あまり上手にいえないけれどね。

ドン・キホーテ (WRITERS X)

ドン・キホーテ (WRITERS X)