日々雑論 うぜぇ・改(笑) その1

 まー相次ぐ各種歴史修正主義裁判での無様且つまっとうな敗北でだいぶ沈静化されたかに見えたのですが、タモガミとかいうキの人があたり構わず大暴れしてくれるもんでまた鬱陶しいのが湧いてきてますないやホントニ。 で、相も変わらず昔話するんだけど、昔と今で決定的に「変わったねー」と思うのが、「教えてくん」が異常に増えた、つー事だなと。 
 まあ、今も昔も思想何ザそれだけだったら所詮他人の借り物でしかない訳だし、本にしろ古文書にしろ新聞にしろテレビにしろネットにしろマスメディアの使命云々とかゴタイソウな大言壮語を抜かす論調も目立つけど、所詮こんなのただの娯楽、強いて言えば暇潰しであり商売とか売文業とか、職業でやってる人を除くと、面白いからやってるだけというのが本音のように思われる。
 で、一番違和感を感じるのが、「面白い」の尺度というか範囲というかがまるで欠落しているというか、視野角度がなんか狭いんだよなと感じて仕方が無い訳で。
 で、ネトウヨのカタガタとかがシカメ面して事あるごとに「ニホンブンカガドーノコーノ」とか「ウンチャラカンチャラ」とか大真面目にほざくのを眺めるにつれ、頭が痛くなってくるんだなこれが。
 で、こーいった連中の「クニトシテノアリカタヲオオマジメニカンガエル」姿は「マコトニゴリッパデスネエハイハイワカッタヨ」としか言い様が無いんだけど、傍から見てるとどーも鬱陶しくていけない。
 まあ、面白主義者の常として、「こりゃ凄い!面白い!!!」と自身のアンテナに引っかかったものは極力喰らいつくようにしているんだけど、その中で江戸時代の天才画家、伊藤若冲を始めとする江戸奇想派の画展とかも脚を延ばしたりしてるわけで。それとか好色一代男の世之介なんかも色の道に目覚め、女色道、男色道を極めた後に女如ヶ島に旅立つくだりとか、上杉清文なんかが展開した、野次喜多の東海道中膝栗毛の現代版解釈*1とかにゲラゲラ笑ったりした事もあったっけ。
 で、話はオタクネタに戻るんだけど、ネトウヨオタクのヤロの連中って「BL本」とか「やおい本」とかをどーいう位置づけで眺めているのだろうとふと思った。多分コレはあくまでも予測に過ぎないのだが、完全無視するか蛇蝎のように嫌悪するか、または絵柄によっては注目しているのかかな?というところだと思うのだが、ネトウヨでオタクを兼ねている連中は、こーいうのはだいたい蛇蝎のように嫌ってるんじゃないの?とは漠然と感じている訳で。
 まあ、前振りと引用が長々と続いてしまったが、連中に対して漠然と感じていて、更に鬱陶しさを倍増させている事を述べるとすると、「ニホンブンカコソガ至上カツ立派ナモノデホカノモノハトルニタラネーヨ」と言うところが本当に鼻につく訳で。 で、連中が持ち上げるのが決まって「サクラ」「カタナ」「サムライ」「ブシドウ」なんだよねえ…
 そんな堅っ苦しいクソ狭い了見でよく草臥れねえなぁアンタラ。
 断っておくがオイラの判断基準評価の良し悪しはあくまでも「面白いか否か」「凄いか否か」でありそこに国籍とか人種とかのフィルターを極力廃しているように自分では気をつけている積りなんだけど、ネトウヨオタクのオンカタガタはまず「国籍」「人種」ありきのように思うのだ。なんかその辺りどーしても腹に入らないものがあるなと思う。

*1:杉本苑子なんかが伏せざるを得なかった「陰間」等の隠語を全部拾い上げ、オカマのホモの風俗探索道中記と位置づけた!!!!