日々雑論 歴史修正主義に関する考察 その17 で、実際日本の半島統治はどーだったの?

 まあ、法廷における歴史妄想主義の連戦連敗で、自慰史観が駆除されかかっているおかげでだいぶ静かになった感があったので暫く離れていましたが、最近うるさくなってきたのでまたぞろ始めようかと思います。
 阿呆のキ印元空幕長タモガミとか、引退決定の宮崎のコメディアン中山成彬なんかが大暴れしてくれたおかげで暫く沈静化していたネトウヨがまた五月蝿く湧き上がってきてますな。まー連中のゴキブリ並みの生命力にはほとほと呆れて物が言えないのだが、連中は事ある毎に「半島のインフラを整備してやったんだ」「生活水準を上げてやったんだ」と妙に上から目線で非常に鬱陶しい事この上ない。
 で、実際旧政府の半島統治はどーだったの?という事で、手持ちのネタから当時の状況を拾い出して考えてみる事にいたしましょう。しかし、ただ「拾い出す」だけでもつまらんので比較対象もあげつらってみる事にいたします。
ではまずイザベラ・バード「朝鮮紀行」第2章 首都の第1印象65頁(講談社学術文庫)より抜粋。太字赤字はこちらで加工

(略)袁世凱には清国人の生死を左右するだけの権勢があり、その処罰方法は我々には野蛮に思える事もあったが、清国人は彼を恐れるあまり、朝鮮人に対してはまずまず態度が良かった。これに比べれば、日本人の朝鮮人に対する態度は話にならない。

 首都ソウルでのイザベラ・バードの見た第1印象であるが、この数少ない言葉が全てを物語っている。で、首都や日本統治下での惨状を見るにつけ、「くずのような民族でその状態は望み無し」(「朝鮮紀行」 第19章 朝鮮の国境第307頁(講談社学術文庫))という感想を持つのだが、帝政ロシア統治下での半島からのシベリア居住移民の暮らしぶりを見るにつけ、最終的にこう結論付ける。(同第19章 朝鮮の国境同頁同文庫より)

 朝鮮にいたとき、私は朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望み無しと考えていた。ところが沿海州でその考えを大いに修正しなければならなくなった。自らを裕福な農民層に育て上げ、ロシア人警察官やロシア人入植者や軍人から勤勉で品行方正だと素晴らしい評価を受けている朝鮮人は、何も例外的に勤勉家なのでも倹約家なのでもないのである。彼らは大半が飢饉から逃げ出した飢えた人々だった。そういった彼らの裕福さや品行のよさは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、人々は徐々にまっとうな人間になりうるのではないかという望みを私に抱かせる。(略)

 なら、当時の帝政ロシアはどーやって植民地統治をしてたのさ?となる訳ですが、これも拾い出してみようか?(同第19章 朝鮮の国境第308頁同文庫より)

(略)ロシアの行政は断固足るべきところでは断固としているが、それ以外ではきわめて寛容で、つまらない禁止やうるさい規則で外国人を悩ませる事が無く、それぞれの民族の特質や習慣にあった地方自治体の形成を奨励し、風習や宗教や衣装において非難される点を直すためには、時間、教育、他の文化との接触を信頼しているのである。(略)

 となる訳で。まあ、この部分だけ抜きだしゃアタシが何を言いたいかがよくわかるんでないかい?と思う。この事実だけ抜き出してもむしろ「生活水準」が上がっているのは帝政ロシア統治下のほうであって、連中の唱えるインフラ云々は現地住民にとってはただのお題目であり、寝言にしか過ぎないのが判るんじゃなかろうか?

朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)

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