日々雑論 歴史修正主義に関する考察 23 日本「だけ」が本当に悪いのか?(実際悪いんだけどね)

 えー、見て解るとおりここでは歴史修正主義という妄言に対してのカウンターアタックを徹頭徹尾続けておりますが、質や量や真摯さで言うならid:Apeman様のところとかの方がはるかに充実しておりこんな場末の隅っこで吠えているだけの所に来ても暇潰し程度にしかならんじゃねーの?位の考えしかありません。その「暇潰し程度」なのを利用して冗談とギャグと不謹慎ネタで誰にも見向きもされずに吠え続けようとするところに「腐れ左翼面白主義者」としての立ち位置があるわけだけど
 まあ、大陸や半島、他のアジア諸国での略奪犯殺行為については「んなもんあったに決まってんだろバーカ」となってしまえば「そりゃごもっとも」としか言えない訳ですが、歴史修正を唱える妄言妄動の方々のもう一つの心の支えである「日本だけが悪いのか?」に対して一つ講釈をたれてみようかと。
 結論を言います。
 うん、格別に日本は悪いねえ。非常に悪質だ。
 と言うとまたぞろキの方々が喚きに喚くだろうけど、事実だから仕方がない。
 事実である証拠を見せろって?
 よござんす。
 今から事実の証拠を見せましょう。
 悪名高き治安維持法を挙げるだけで十分だろう。
 治安維持法については、ナチスドイツと比較して、治安維持法「のみ」で死刑になった例がないことから「ずっと穏やかなものだった」という話もありますが…
 とんでもない!
 以下、現代のエスプリ ファシズム 解説「ファシズムに対する思想」より抜粋
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(略)ある俳句作者は警察から、俳句を通じてマルクス主義を浸透させ、他日革命を実現する事を企てた者にされてしまう。もうこうなると、どう弁解しても通らない。従って手本を見せてもらって、自分は共産主義者だったことを手記にまとめ、更にその誤りを認め、転向を誓って留置所から出してもらう事になる。その作文した書類を提出したら「お前はそんなえらい事を言う部類に入らぬぞ」と言われたという(大原社会問題研究所「太平洋戦争下での労働運動」「日本労働年鑑」別巻1971 324頁)
 多分、このような事が続出するのは、内務・警察官僚の縄張り意識と出世主義によるものであろう。取り締まり担当者としては理由はどうあれ、一人でも多く検挙し、自白させ、転向させることが実績作りに成立つからである。拷問や脅迫によって共産主義者だった事を認めさせれば、逮捕した事は正しかった事になるし、手記を書けぬ者には「手本」を見せて、整然と書類は整う事になる。その上で転向を誓わせて釈放すれば「お上」の慈悲と温情を印象付ける事さえ出来る。
 このような措置は穏やかなものだったというよりは、日本的な官僚支配の特質を十分に表現しているものだというべきであろう。ひと思いに思想的敵対者を殺してしまうナチ流の弾圧方式に比べて、ここにはより根深い思想への蔑如と冷笑があるように思われる。

 要するにですな、他と違った考えや思想といったものに対して日本というシステムは冷笑と侮蔑をもって対処してるんですよ。前から何度か述べている通り、日本と言う社会においては「身内に対する根拠のない思い上がりと他に対する意味の無い侮蔑」が根っこにあり、それがアジア諸国に向かえばネトウヨ歴史修正主義になるし、身内の異物に向かえば「アカ」だの「工作員」だのとなる。
 それが証拠に国内での戦前戦中での反戦運動などを挙げよう。個人として小林多喜二、戸坂潤、野呂栄太郎三木清を挙げてみるが、いずれも獄中死である。法律が適用され死刑になるのではなく、法律の適用以前に死に向かわされているのだ。死刑というシステムすら適用されず死に追いやられている。横浜事件だって、治安維持法の失効を理由に「免訴」つまり「もう終わった事なんだからそんな終わった事でぐちゃぐちゃ言うんじゃねえ」となってるし。
 「思想」に対する根深い冷笑と侮蔑、日本が他と比べてとりわけ厄介なのはこの点がまず挙げられるだろう。 この点もっと首を突っ込まないといけない気がするのでこのネタは以後優先して続けます。