日々雑論 諸君!がぶっ倒れましたな

asahi.comニュース文化記事より抜粋
創刊40年「諸君!」休刊へ 部数低迷
保守系の代表的なオピニオン誌である月刊「諸君!」の休刊を、発行元の文芸春秋が決めた。5月1日発売の6月号が最終号になる。
 同誌は69年5月の創刊。看板雑誌である月刊「文芸春秋」の兄弟誌的な位置づけで、右派論壇を支える存在だった。福田恒存山本七平江藤淳林健太郎の各氏らが論陣を張り、巻頭の「紳士と淑女」、巻末に置かれた山本夏彦氏の「笑わぬでもなし」の両コラムも評判になった。
 日本雑誌協会によると、08年9月30日までの1年間の平均発行部数は約6万5千部。だが関係者の話では、実売は4万部を割る状況が続いていたという。
 同社全体の広告収入が減っており、新年度の好転も見込めないことから、「選択と集中を進める」(同社幹部)との意味合いと、創刊から40年という区切りもあって休刊を決めた。

 その昔、名古屋や大阪、東京に行ったりした時、よく古本屋を覗いては「伝統と現代」のバックナンバーとかを探して面白そうな物を買い漁ってたりしてた訳で、まあ昔話と感傷に浸ってみたがまあ許してもらいたい。
 諸君!のぶっ倒れに関しては特に何も感慨らしい物もないし、別にザマアミロとかいう気持ちも湧かないんだけど、この手の雑誌の激減ぶりはちとさびしい物があるねえと感じる。今の世の中ネットネットと馬鹿みたいに煩いが、実はそのネットとやらで感心したり新しい発見があったりした記憶がまるで無い。
 アタシャ今の今に至るまで腐れ左翼面白主義者の生き残りを自称してはいるんだけど、オイラの基本骨格といやぁ平岡正明だし、更にさかのぼれば赤瀬川源平とか、末井昭とか、トマソンとかといった、写真時代の影響が非常に濃いわけで、面白い物をひたすら追っかけ続けていたらこーなってしまった訳だ。なのでカタッ苦しい事は大っ嫌いだししかめっ面で小難しい事考えてご立派な御託並べるのも反吐が出るしヒノマルキミガヨなんざぁ虫唾が走るくらい大嫌いなんだけど、へんてこりんな事や面白そうな事を見つけたりする嗅覚だけは自信があるし、他人に負けないといえばそれくらいだなというのも寂しいもんだが実際そうなんだから仕方が無い。
 もちろん全冷中運動とか、そーいったのをリアルタイムでは知らないんだけど、後追いで知っちゃって、すげえ悔しい思いを味わった身としては、その手の「面白い物をかぎ分ける嗅覚」は読書で学んだと胸を張って言えるわけだ。
 ところでそれと「諸君!」のぶっ倒れと何がどー関係あるの?と言う事なんだが、もちろん直接的には全く何の関係も無いんだけど、知識として蓄え、自分の血肉としていくのにネットだけで頼るのはどうよ?と思っちまうのが先にある。ネットだけに頼った結果がニッポソの国からやってきた今の阿呆守連中の異常増殖と躁病の安倍壷三の勝手な自滅や売れない芸人タモヤンのドサ周り地方興行による落ちぶれた挙句の個体数激減にあるわけだ。右派といっても頭山満翁とか、戦前の2.26なんかの社会的な土壌も見据えた上での話とか、オイラも学生時代酒を飲んじゃ当時の「右派」の連中と駄弁っていたりした事もあるんだけど、当時と今とを比べてみてひしひしと思うのが、右派連中と称する、俗に言う阿呆守化であり金太郎飴化であるわけだ。
 だって2ちゃんでも何でもいいんだけど、自称憂国の阿呆守連中の断末魔をちょっとでも覗いてみれば一目瞭然なんだけど、みんな言ってる事一緒でしょ? この気持ち悪さはいったい何?って位、定規か何かで測ったようにみんな一緒。上は田母神とかいう売れない芸人の変な作文から、下は2ちゃんの厨房の書き込みまで、見事に一緒。全部同じ。ほんとに金太郎飴。 
 まあこういった事実を示すだけでも阿呆守の異常増殖振りとその劣化振りがつとにわかるんだけど、阿呆守がこんなに増殖してしまった原因をみてみるとやはりネットとやらの普及が非常に大きなウェイトを占めていると思うのだ。
 ネットとやらが普及するまでは諸君にしろ論座にしろ世界にしろ正論にしろそれほど目に付く事もなかったんじゃないかと思うのだが、だからこそ部数が落ち込んでいたわけで、ある種の狭いサークル内での論戦にしかなってなかったというのが実状じゃなかろうか? そこへこの爆発的なネットの普及だ。ネットからネタを引っ張って来る事で一番危険性が高いのは、その部分のみを簡単にコピペでぶった切り、都合のいいところだけを抜き出しているにもかかわらず、その文献にあたろうとせずにそのまま食っちゃうところに大いに問題があるわけで。
 で、その結果、資料や文献と言った物の比重がでたらめに軽くなっちまった事が今の阿呆守連中の異常増殖に一役買っているんじゃないの?と思うわけだ。