日々雑論 阿呆守ってなぁホントに(ryk

 アタシャ、毎日毎日文章書きのプロの癖にクソったれの詭弁と曲解とチラシの裏の書き殴りでしかない某ウサンクサイケイ新聞の某ウサンクサイケイ抄のデンパぶりを眺める事「だけ」をせめてもの楽しみにしていた人間なんだけど、朝5時50分現在でMSNウサンクサイケイページ欄からウサンクサイケイ抄が消えてるんですよねー。他の「くだらん主張」とかは健在なのに。あればあったで胡散臭さ炸裂の上から目線文章が目線から消えるので精神上健康にいいといえばいいんですが無ければ無いで少し寂しいですねえ。ツンデレか?(笑)
 それはさておき
 障害を持つ方の性教育の件で、改めて阿呆守の連中の「阿呆守」ぶりが曝け出された訳だけど、元からニホンという社会におけるムラというシステムは(勿論日本だけに限った事じゃないけどね)、ハレとケ、つまり表の顔と裏の顔がある訳で。例えば柳田國男なんかの民俗学なんかでは全く顔を出してこない「裏の顔」としての部分として赤松啓介などが指摘しているんだけど、ムラという横並びのシステムと、上は天皇制に始まって下は被差別階級までに並ぶ縦並びのシステムおける、縦横に組み込まれた差別に対しての考察や、その縦横に組み込まれた中での性生活なんかを見てみても、今の阿呆守連中は華麗にスルーな訳だし。
 デントウブンカデントウブンカと粋がるんなら男衆遊びの一つでもして衆道を極めてから言ってくれとも思っちゃったりするんだが、おいらはただの腐れ左翼面白主義者の成れの果てなので衆道は勘弁願いたいけどね(笑)
 話がそれた。
 まあウサンクサイケイに代表される阿呆守連中の性道徳観てーのは所詮その程度でしかなく、フェミニズムといえば「母性愛に満ち溢れ慈愛に輝き正義を貫くひたすら賢い女」とか「男におととい来いと言い続け、ひたすら女を美化しようとする女」という誠に古臭いイメージしかねえんだろーなという感じがひしひしと伝わってくる訳だ。柳澤伯夫とかいう当時の強制労働推進福利厚生圧縮大臣なんかの「女性は産む機械」発言なんかは特に顕著だと思うんだけど、ウサンクサイケイを代表する阿呆守連中の発想や思考回路なんざ所詮その程度であり、残念ながらバリバリの最新現代思想に対して1000光年ほど遅れている。だって既に旧態と化している「ひたすら女を美化するだけ」のフェミニズムや性問題に対して、更に崩壊してしまっている価値観、ついでに付け加えれば赤松啓介が指摘しているように、前述の通り明治から敗戦への数十年間でオカミから押し付けられた付け焼刃でしかないもので立ち向かおうってんだから。阿呆守の方々、現代フェミニズム論にまともに対抗しようってんならキャシー・アッカーカミール・パーリアの著作でも齧っておべんきょうしなおしてからやってください(嘲) 
 かの石原珍太郎くんも何やら今回の件でぎゃーすか喚いておりますが、じゃあてめえの小説「残酷なる遊戯」はどーなんだオラ!となるんだが、このオッサンは豊洲移転後、豊洲を通過した猛毒魚介類と、厚生労働省が音頭をとってブレンドされた汚染古古米でも食ってその安全性を自身の体でもって訴えてくれると期待しているんだが。
 カルデロンさん一家の件と言いこの件と言いええかげん阿呆守の勉強不足とテンパリぶりには閉口しているんだが、これも戦後ゆとり教育の弊害なんだろうなー。