日々雑論 誤解しているようだからもう一度

 まーこんな端っこの腐れ毒吐きブログに対してもマメに目を通していただいている非常に熱心かつ奇特な御仁がいるわけで、そういう意味では非常に有難いんだけどなぁんか誤解している方も見えるようなので、ここでもう一度立ち位置を再確認しておくのも悪くないから、一応再確認しておこうと思う。
 あたしゃニッポソ、じゃなかったニホンというシステムが大嫌いなんだけど、そのアリガタイニッポソシステムを金科玉条としているお方のコメに対してコメで反論するのも面倒くさいので、ここで述べておこうかね。
以下、ここのログについたHN名通りすがり氏(つってもこのHNステハンぽいなぁ)のコメ

『原文ないし、英語訳を使うべきだと思う。』

世界史を勉強されたら如何でしょうか。
たとえば、ユーゴスラビアの歴史。
各勢力の草刈り場となったあの地は、極端に言えば王が変わるたびに勢力が変動
し、
そのたびに弱小民族は追い払われました。20世紀末に起きたあの悲劇を10数
世紀も繰り返していました。
アジア大陸の歴史はその追い払い、あるいは皆殺しの繰り返しです。
トルコもブルガリアも元からあそこにいたわけではありません。
新大陸は言わずもがな。
「良い子だから成長するまで見守ってあげるね、よちよち」なんてことを他の民
族にしたことなど聞いたことがありません。
アジアに対して欧米は、追い払いこそしなかったものの野獣のように奴隷にしま
した。
それに比べて、数世紀かかっても日本人化するなんて、なんと人道主義的なこと
か。
そもそも日本の側に、「自分の文化を守って大きくなろうね」なんて朝鮮人を保
護する「義務」など金輪際ありません。
弱小民族は追い払われるか、奴隷にされるか、絶滅されるか、いずれかが世界の
歴史の表すところです。
タタールのくびきなんて言葉もありましね。
あなたが仰ってることは、むしろ今の中国にあてはまるのではないですか?
緩慢なホロコーストを実際にやっています。
過去の日本、帝国主義的時代の日本に怒るエネルギーは今の中国に向けられたら
どうでしょうか。

だーはっはっは。大笑い。
じゃああんたのお望みどおり原典当たってやろうじゃないのさ。ちと長いが重要なところ全部抜き出すぜ。
以下、現代のエスプリ ファシズム 解説「ファシズムに対する思想」196頁を殆ど抜粋。太字赤字はこっちで加工。

(略)しかし最近一部の論者の中には、ナチスドイツ等との比較で、弾圧法規といっても日本の治安維持法など、この法のみを運用されて死刑になった者は一人も居ない位で、穏やかな物だったという議論が展開されている。だが治安維持法は、法そのものの性格もさる事ながら、その周辺に拡張解釈、フレームアップ、警察暴力の是認という特製を拭いきれないのである。例えば、小林多喜二野呂栄太郎、戸坂潤、三木清らはいずれも治安維持法的な容疑で逮捕され、警察の留置場で死んだ。殺されるか、そうでなくても死に追いやられたとはいえる。確かにそれは法の適用とか、裁判の解決とかではなく、むしろ法律以前の問題である。したがってそれは治安維持法に関係ないとして、その穏やかさを主張するのは、余りに官僚的な形式論理を歴史解釈に適用しているといわざるを得ないだろう。
 その一方で法律を運用する側はかなり恣意的な拡張解釈を日常的なものとしていた。「解釈を最大限度に拡張してかろうじて時代の要求に応じている」とは当時、担当検事自身が認めるところだった。そうして、日本の思想弾圧の主体が、ナチスのように断固として権力意志の持ち主で無く官僚だったから、そのことから来る形式主義と恣意的矮小性を持っていた事は認めなければならない。ある俳句作者は警察から、俳句を通じて大衆にマルクス主義を浸透させ、他日革命を実現することを企てた者にされてしまう。もうこうなると、どう弁解しても通らない。したがって手本を見せてもらって、自分は共産主義者だった事を手記に纏め、更にその過ちを認め、転向を誓って留置所から出してもらうことになる。その作文した書類を提出したら「お前はそんな偉い事を言う部類に入らぬぞ」と言われたという。大原社会問題研究所『太平洋戦争下の労働運動』『日本労働年鑑』別鑑1971年324頁)
 多分、このような事が続出するのは、内務・警察官僚の縄張り意識と出世主義によるものであろう。取締り担当者としては、理由はどうあれ、一人でも多く検挙し、自白させ、転向させる事が実績作りに成立つからである。拷問や脅迫などによって共産主義者だった事を認めさせれば、逮捕した事は正しかった事になるし、手記を書けぬ者には『手本』を見せて整然と書類は整う事になる。その上で転向を誓わせれば『お上』の慈悲と温情を印象付けることさえ出来る。
 このような措置は穏やかなものだったというよりは、日本的な官僚支配の特質を充分に表現しているものだというべきであろう。一思いに思想的敵対者を殺してしまうナチ流の弾圧方式に比べて、ここにはより深い思想への蔑如と冷笑があるように思われる。

 どうよこれ?
 これは国内のことだけど、まんま外にもっていっても充分すぎるほど当てはまる。 
 アタシャ世界の近代史齧ったから『こそ』こーいう結論になった訳だけどねえ。こりゃ志布志事件まんまですなあ。それこそ志布志事件治安維持法時代から1mmたりとも変わってねぇってか?一寸前まで総務大臣やってた当時法務大臣の鳩ポッポ、別名公開処刑人も「ありゃ冤罪じゃねえよ」とほざきやがった志布志事件ですが、あれはギャグだったんでしょうかねえ?
 それから台湾での植民地支配について
 これも原典から当たるぜ。孫引きだけどな。
 台北帝大医学部精神病学教室主任教授奥村二吉、昭和17年3月の「民族と精神薄弱−高砂族の精神薄弱の研究」から抜粋だ。

高砂族は近年迄狩猟をなし昭和の初めに於いてすら霧社事件を起こして百数十名の内地人を殺した程の未開民族であってその精神医学的調査は現代の文化民族の精神医学に何等か貢献する処があらうと思われる

 序文からの抜粋だが、これだけ見りゃアジア周囲に対しての思い上がりを読み取るには充分だ。今、どんなにキレイゴト並べたってムダムダムダムダ無駄ァァァァァ! 
 一方でこういったものが確実に存在し、また他方では日帝主義史観裁判闘争でみっともない敗北を繰り返す日帝主義史観の面々がある訳で、そういや矢鱈専門外に口を出す、東中野ナンチャラとかいうのも居たがどーなったよオイ?
 最後に、あ、えーと、なんだっけ?
 あ、そうだそうだ、アチキの立ち位置の確認だ。
 アタシャただの「腐れ左翼面白主義者」の成れの果てであり、一悪趣味ハンターであって、それ以上でもそれ以下でもないわけだ。で、日帝主義史観の連中をここまでコキオロスのは連中が悪趣味極まりない、更に言えば鬱陶しい事この上ないからであり、こーいった事に首突っ込んだ理由も「やられた事は実にウザイほどわんさか出てくるのに何故やった事が全然出てこないの?」という実に素朴かつ単純な理由でしかない。まあ首突っ込んだおかげで本当に洒落にならなくなってしまった訳だが。