日々雑論 故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。その3

 7月9日に平岡正明氏が亡くなってから暫くたつのだけど、やはりこの方の影響は大きかった訳でまだ「終わった事」として切り離す事に躊躇する。そういう意味ではウィリアム・バロウズの訃報を聞いたときにも同じ衝撃を味わった。
 徹頭徹尾「革命」を軸に、犯罪、ジャズ、歌謡、落語など、いわば化け物みたいな知識とそれを茶化すギャグセンス、それと徹底的なアジと行動力、型破りといえばこれ以上型破りなものはついぞ見つけられなかったなぁと思う。今となっては晩年になるが、最近の著書においては確かにパワー不足を感じたりもしたのだが、それでも最後まで軸のブレを感じる事は一切なかった。この「軸のブレなさ」加減が現代思想の尻馬に乗っかってちゃっちゃと転向しちまった吉本隆明とかなんかとは全く違うところだなと思ったりもする。
 そして、もう一つ大きなことがある。
 その道の「権威」にならなかったことだ。
 確かにあらゆる領域において怪物みたいな読書量と類稀なセンスをもって縦横無尽に駆け巡っているのだけど、ついぞ「その道の」権威になる事はなかった。むしろその「権威」なるものを意識的に避けて逃げていたようにも見える。
 確かに権威に対して噛み付いている人間が権威になっちゃあ洒落にもならんわな。
 対象がゴロっと変わるが、よしりんこと小林よしのりや、唐沢俊一とかの「言論人としての胡散臭さと鬱陶しさ」は案外こういうところから来ている気がするんだよな。
 よしりんにしろ唐沢俊一にしろ呉智英にしろアンダーグラウンド出身だが、最初は権威に噛み付いたり茶化したりしていたくせに何時の間にかその道の権威になっちまっている。この変わり身のはやさと言うか売国ならぬ売心と言うかには呆れて笑っちゃうんだけど、胡散臭さと鬱陶しさがついて廻る訳だ。唐沢俊一にしたって「変な漫画の評論と発掘」だけしてりゃ面白いのに他の事になるとてんで軸ぶれまくりのウザ(以下略)
 まあ、おかげで時代から干されたという気もするが、当の本人もそんな権威付けを喜ぶとも思えないし、山下洋輔第2期トリオ「キアズマ」でも聴きながら故人の冥福を祈ろう。