日々雑論 農業が崩壊すると言ってるけどね。改訂版

 なんか最近テレビとかを見ていると「農業の危機」みたいな事を言ってたり、それに対して芸能人が農村部で野菜作ってたりするのをリアルタイムで放映してたりとかしていて、改めて、と言うよりは嫌が応にも農業の問題をこれでもかと突きつけられる訳なんだけど、それらを見てるとなんか違和感がどうしても出てくるんだな。
 報道番組はしきりに後継者不足と政府の朝令暮改を強調し、バラエティは農業の楽しさを芸人を使って面白おかしく紹介する。まあ、おそらく両方とも正しいとは思うんだけど…おいらが日本の戦争責任について初めて首をつっこうもうとしたときと同じ様な「違和感」が頭の中で育っている。
 どのような「違和感」かというとですねえ…
 地方の「農業従業者」の団体は「本当に」「悲劇」の「滅ぶしかない」「社会的弱者」であり、またずっとそうだったのか?という疑問だ。
 日本の戦争責任について、「やられた事は声高々に喚き散す癖に、やった事は不気味な程に出てこない」のが妙に引っかかったから「やった事」を首突っ込んで主に義兵闘争やシンガポール華僑大検証を中心に齧っている訳だが、では農村部においてはどうなの?という事で見てみよう。
 まずは亡くなってまだ暫くしか経ってないけど平岡正明上杉清文対談集「どーもすいません」より一部抜粋

平岡:百姓といやあ、下堀のカメ公につきる。
上杉:なんですか?その下堀のカメ公って
平岡:ウチの遠い親戚で二宮尊徳を信奉してるんだよな(笑)。ウチはずっと東京に土着してたから、戦争末期に疎開しようと思っても、疎開する田舎がないんだよね。で、散々探したら母方の遠い親戚が小田原在住の酒匂にあって、そこに疎開したんだ。(略)食うために買出しに行かなければならないんだ。そこから東海道線の線路を越えて一理くらい離れたところに、堀口という親戚があるってんで、いつも母親に手を引かれてイモなんかを買いに行くわけ。上杉さんの時代は、竹の子生活って言葉まだあったの?
上杉:竹の子生活ですか?竹の子族じゃないでしょ?
平岡:うん、あの時代は物凄いインフレでしょ?金なんかあってもないようなもんですよね?だから、百姓は金では売ってくれないんだ。自分の着ているものを一枚一枚脱いで食料に換えるわけ
上杉:物々交換
平岡:カラダか着物だよな。着物を売りつくしちゃうと、カラダしかない。
上杉:そうですね。
平岡:で、フスマを買いに行ったんだよ。俺たち、その当時はフスマパンというのをよく食ってたの。フスマとうどん粉混ぜて。
上杉:馬みたいなもんだ。
平岡:馬ならいい。豚以下に扱われた。で、下堀のカメ公のウチまで買いに行ったんだ。すると、カメ公が出てきて「オメエッち今日何もって来ただか」て言うんだよね。金のほかに指輪だとか、マフラーだとか、毛皮だとか、着物だとかね。金払って、百姓に物やって、それでやっとフスマをもらうわけね。米なんか全然売ってくれねえから。それで、何回目かの時、カメ公が「オメエッちにやるフスマなんかねえ。豚に食わせる餌のほうが大事だ」なんて言いやがった。
上杉:はははははは……その二宮尊徳が言ったわけですね。フスマをブタに食わせるって。
平岡:その時、俺は悔しかったなぁ。(中略)あの下堀のカメ公だけは許さない(笑)。そのころ、供出ってあったんだよね。
上杉:ああ、ありましたね。内は寺だから梵鐘を供出したそうです。戦時中の話ですけど。
平岡:釣鐘じゃ食えねえよな(笑)。で、俺、その時、日本の百姓の小ずるさというのを嫌と言うほど見たんだよ。食料調達の役人が来るとさ、「もうねぇ」って米俵にしがみついてるんだ。「こんなことして百姓を殺す気か」なんて言ってた婆ぁがさ、役人が行ってしまうと、ケロっとして、「今日はこれだけで助かった」っていって、床の下にいっぱいあったりするんだよな(笑)。百姓のサイドから言えば役人が収奪していくって理屈もあるけど、そういうのは認めないのね。俺は、金がないって言ったときは本当にないわけよ。ところが、あるくせにないって言ってる人間がいる。それ以来、俺は百姓が嫌いでね。(略)

以上、平岡・上杉対談集よりの一部抜粋だが、掘り下げてゆくと結構重苦しかったりするんだけど、重苦しい話題を冗談とギャグで言いくるめているのであまり衝撃はないかもしれない。まあ、手軽に日本の農村部の闇を齧ると言う意味では白土三平カムイ伝」なんかを読むのもいいんだけれど、という訳でもうひとつ。黒田喜夫の一連の詩の中のひとつを取り上げてみる

(略)
妊婦によりそって囁いていた
俺たちの多産系
飢餓と貧婪といううつくしい言葉
婦はやすらかに息ずく下腹を幻の土地よといった
骨盤は無限に広いなんて撫でてると
土地のおくに踞んでいる人の形をさぐりあてた
肉のおくに踞んでいるいびつなマッスの
休みない鼓動にふれてると
苦い近親憎悪がきた
おれに似た仔か
農奴誕生か
いまはこの肉の鎖の断種こそ願う
飢餓と貧婪といううつくしい言葉
うつくしい言葉におもねて
肯定の種を蒔きつづけるこの肉の鎖を断つときだ
立上ると
婦が肢にすがり
そのままひきずって窓ぎわに立ち
遠い土地よ幻よ
遠く広い土地をゆめみることが何故救いなのか
アクションすさまじく細民の街を指さすと
恨みがましい顔があおむいた
ああ鬼っ児生むわよ
鬼っ児なら産め
恨みがましく婦はのけぞっていった
(略)

とりあえず一部分だけを抜き出してみたが、凄まじいまでの飢餓に対する怨念である。この「飢餓」に対して、これでもかこれでもかと鋼を突き立て抉り出す怨念をぶつける先はと言えば、まず間違いなく農村部ムラ社会構造の抱える「闇の部分」だろう。地方農村部で生活が出来なくなった大多数が集まったのが都市部の雛形でもあるわけだし、その「闇」の部分を放置、あるいは「闇」の権益に胡坐をかいてなんら対策をとらなかったがための結果と言ってもあながち的外れでもないだろう。いくら目に見える範囲を整えたとしても、縦横に構築された「ムラ社会」としてのネットワークの「負」の部分をなんとかしないと、所詮上辺だけの目論見で終わってしまうのではないのだろうか。