日々雑論 原発と日本のムラ社会と その1

まあのっけからなんですが、最早実世界において原発を取り巻く状況すべてが「ギャグ」にしかならず、「原発」の存在意味が最早我々面白主義者のギャグネタとして徹底的に嘲笑され、馬鹿にされ、ネタ扱いされるための格好の素材であるというただ一点においてのみの存在価値しか許されてない状況ですが、一昔ほど前は「未来のエネルギー」として崇め奉られ、真面目に「脱原発」を唄おうものならアカだのブサヨだの*1と罵られるのがオチで、ラジヲマンやHALのように馬鹿にしてギャグネタにする以外に立ち向かう方法が無さそうだったのを思うと感無量です。
炉心融解中の原発にオガクズと新聞紙と石鹸水で果敢に立ち向かうように「指示」する東電社員は頭がいいのか悪いのか狂ってるのか正気なのかやる気が無いのか俺じゃねーからドーデモイーヤと思ってるのかヤケクソなのか?とか、トーキョーダイガクダイガクインのエライダイセンセーが*2隕石でしか壊れないとか言ってた癖にあっけなく地震でぶっ壊れ、しかも「ツナミガー」を連発してコソコソ敵前逃亡中だとか、原発が批判されるや否やエンロンもびっくりの恫喝停電を行い、火に油を注ぐ結果になっちまったら今度はオコチャマ動員キャンペーンを行って余計に神経逆撫でさせ、油注いで燃えさかる炎に固形燃料ぶち込んだ状態になっちまったりとか、保安院だか何だか知らんが海外プレス向けの記者会見で最早海外記者の誰も相手にされず、人っ子一人いない記者ルームで『何かご質問はありませんか?』と問いかける、透明人間を相手にしていたお役所の方々とか、原子力安全委員会のデタラメじゃなかった班目春樹が「俺達じゃわかんねえから東電に聞いて(超意訳)」とホザイたりとかマコトニモッテジジツハマンガヨリキナリを突っ走り中でかなり疲れてます。
で、更にそれを取り巻く状況がすでに怒りを通り越して笑いしか出ないんですが、ここまで無残な醜態を曝け出しているにもかかわらず、全力で原発を擁護する黄泉売じゃなかった読売とか、おなじみ我らのウサンクサイケイこと産経なんかを読んでるとモノノアハレヲカンジマスナ(棒読み)
まあ、クダラネエ話はさておいて、やはり北関東東北地区にお住いの方は一刻も早く脱出した方がよいとは思うのですが、いろいろしがらみなどがあり、なかなかそれも難しいのだなとこの前のデモパレード参加時に思ってしまったのですよ。
アチキ自身の参加スタンスとして、あくまでも「祭り」として楽しもう、という軸はぶれなかったので良かったのですが、パレードが終わってから、お子さん連れの奥様と少しだけお話しする機会がありまして、これが全然洒落にならん。
うろ覚えなのですが、学校も先生も文部科学省の言いなりで、安全安全しか言わない。周囲もそれを信用しちゃって子供にマスクとかさせると白い目で見られる、給食も怖くて食べさせられない。いたたまれなくなってこっち(名古屋)に来たけどこっちは大丈夫なのか?という感じの話でした。北陸が「ハーイ」しない限りまあ、大丈夫じゃないのかな?とは答えておきましたが、悶呪、じゃなかったもんじゅだけは気をつけてくださいね、とは言っておきました。
アチキは悲しきヒトリモンなのですが、こういった話を聞くたびに思うのが、「付近居住区でのコミュニティ」の影響が大きいんだなあ、という事です。つまりは昔からの五人組制度つーか、共同体ネットワークというのは昨今の核家族化で崩壊した、とエラソウナセンモンカのセンセイ方がこれ見よがしに述べていたのですが、どっこい根元ではまだまだしぶとく生き残っており、ムラ社会を形成している。このムラ社会帰属意識がある限り「日本の近代」というのは越えられない壁なのだなという気がしてなりません。そのムラ意識というのが良きにしろ悪しきにしろ「日本」の「日本」たる所で、日本人特有の越えられない壁なのかな、という所を感じてしまいました。
まあ、このムラ社会からの脱出に関して、良いかどうかは別問題ですが、少なくともこのムラ社会の問題が原発汚染地区からの避難を困難にしている大きな問題であるのは間違いが無いだろうと思うのだ。このムラ社会の閉塞感が、避難問題を容易ならざるものにしている大きな要因に思える。かといって丸々ムラ社会をそっくり移転させる訳にもいかないのが難しい所なのだが

*1:何度も口酸っぱく言いますが、Mr.Boo!!を基軸とするオイラ左翼面白主義者にとってはブサヨは褒め言葉です。

*2:犬橋弘忠じゃなかった大橋弘忠。岐阜県の生み出した産業廃棄物