日々雑論 [文学] めりけんじゃっぷ 長谷川海太郎と安重根で思うこと

 暫く遠ざかってはいたが、学生時代からずっと大衆文学や実験文学、それも新青年派の変格探偵物を好んで読んでいた。
 まあ、先にポストモダンメタフィクションの実験文学などから食らいついた訳で。J・G・バラードに始まりトマス・ピンチョンウィリアム・バロウズなんかにも手を出して、キャシー・アッカーやらデヴィッド・フォスター・ウォーレスなんかとかも齧りついたなあと昔話をしてみるのだが、まあ、もう少しお付き合い願いたい。
 で、ポストモダンメタフィクションの他に目が行ったのが、戦前の変格探偵物だったのだが、夢野久作久生十蘭小栗虫太郎なんかをむさぼって読んだわけだ。そのむさぼって読んだ中にめりけんじゃっぷこと谷譲次があった。
 本名 長谷川海太郎林不忘牧逸馬谷譲次の三つのペンネームを持ち、それぞれが全く違うジャンルで全く違う作風を書ききった天才である。林不忘ペンネームでは丹下左膳に代表される剣戟物、谷譲次の筆名では「めりけんじゃっぷ」と呼ばれる作者自身でのあめりか往来記、牧逸馬では怪奇探偵物、怪奇実話物を手がけ、「文壇のモンスタア」とまで呼ばれる。35歳で他界。
 何故、今ふと思い出したのか…
 半島での義兵闘争について、今少し首を突っ込んでいるのは過去のエントリを見ていただければ一目瞭然の事だと思う。その中の一環として安重根が出てきた。安重根が出てくるのは義兵闘争に首を突っ込んでいれば間違いないことなのだが…今まで言及しなかったのは不勉強なのと私の性格が捻じ曲がっているからです(笑) このブログ見てりゃ性格わかるか(笑)
 その安重根の事を考えていて、ふと思い出した。
 安重根と言えば、日本での認識は「伊藤博文を暗殺した極悪人、テロリスト」というイメージがある筈だ。反対に半島では「日帝への侵略に対決して敗れた烈士」のイメージであるのも周知の事実かと思う。国が変われば評価も変わるのは常の事だしここでは取り上げる事でもない、また国における評価の変化については取り上げる積もりも別に無い、のだが…
 林不忘こと長谷川海太郎の作で「戯曲 安重根」という作品がある。
 ここでは「安重根」を「大罪人」でもなければ「忠臣」でもない、「ただ、テロリズムに悩む一人の青年」として書ききっている。
 これは案外的を射ているのではなかろうか?
 戯曲であるためこんなんただの創作じゃんと言われてみれば全く反論の余地は無いのだが、「安重根」をただの悪人でもなく烈士でもなく「一青年としての安重根」を思ったとき、どうしても長谷川海太郎の戯曲が頭に浮かび上がる。更に付け加えるとするならば、この作品が発表されたのは戦中でもなければ戦後でもない(既に没しているしね)。戦前に発表されたものだ。発表時は青空文庫によると1931年4月、昭和6年だ。昭和6年といえば満州事変の年である。当時の日本において「伊藤候を暗殺した極悪非道の大悪人」とは違った「安重根」像を描ききるのは並大抵ではなかったはずだ。更に「忠義の烈士」でもなく「悩める一青年」としての安重根像を描いてみせたのは驚嘆と言うしかない。
 現段階では戯曲「安重根」を書籍で探すのは難しいが青空文庫にあるので読むのは簡単なはずだ。是非一度読んでいただく事をお勧めする。
ここに「戯曲 安重根」を挙げておく。