日々雑論 [文学][最近の無差別殺傷事件] 黒田喜夫と見えない「敵」と一寸雑論

1 まだ頭の中で整理がついていないのだが、恐らくずっと整理はつかないかもしれない。しかし、どうしても一度考えてみたくなったので、改めて黒田喜夫を考えてみる。
 強烈に感じたのは、勃興しつつある高度資本主義、地方の変わらぬ農業や体質、「共産主義」(敢えてカギカッコでくくります)、それに戦後、見えないものになりつつあっても未だ厳然と存在する「階級」(これも敢えてカギカッコつきで)、それに何物にも耐え難い無力な自分への怨嗟と失望、絶望感である。
 こちらのHPで知ったのだが、黒田喜夫は「地元」では存在はあまり知られて無いらしい。むしろ、このHPを見た感じでは、逆に忌避されているような感じですらあるようだ。
 それにしても読んでいて鬼気迫るものを感じるまでの「飢え」と「絶望感」は一体何なのだ?今にも朽ちようとする貧農の「飢え」、地主などの富農層に対する「怨嗟」「戦後」少しだけ光の射した青空が、赤狩りやGHQの方策転換で瞬く間に消えてしまい、「革命」の夢が「泡」と消えてしまった事への「絶望」、そして、「共産党」からの「除名処分」…
 今の世の中では「富農層」などと言ってもあまりぴんと来ないと思う。農業を始めとする第1次産業が瀕死の重態に陥っているからだ。ただ、一つ思うことは黒田喜夫の叫ぶ「飢え」と「怨嗟」はこの今こそますます重要性を増しているように思える。
 黒田喜夫の駆け抜けた時代はちょうど「敵」の姿が見えなくなりつつある時代だったように感じる。今、「明確」かつ「共通」の敵は全く見えてこない。農村? 工場? アウトレットモール? そんなところに「敵」は居ない。居るのは「敵」に使われるだけの人間だ。経団連? 首相官邸? そんな所にも敵なぞ居ない。居るのは「敵」に指示されるだけの人間だ。もはや何処にも「敵」なぞ全く見えてこない。

見ると声をたてる何の姿もなく
異様な色にかがやく村に道は消えようとしている
ここは何処で
この道は何処へ行くのだ
教えてくれ
応えろ
背中の銃をおろし無音の群落につめよると
だが武器は軽く
おお間違いだ
俺は手に三尺ばかりの棒片をつかんでいるに過ぎぬ?

黒田喜夫 不安と遊撃「空想のゲリラ」から一部を抜き出してみたが、この怨嗟と絶望の叫びは間違いなく今の社会でこそ真摯に顧みられなければならないだろう。「怨嗟」や「飢え」等が見事なまでに覆い隠され、蓋をされても、「見えなくなって」いただけで「消え去っては居ない」のだ。「消え去っていない」からこそ溜まり溜まった「怨嗟」「飢え」が、堤防が決壊するように一気にあふれ出てしまうのではないか? 例えば秋葉原無差別殺傷事件や、土浦8人殺傷事件に見られるように。
我々は今一度、「飢餓」についてしっかりと考えなくてはならない時期に来ているのだろう。黒田喜夫について考えるとき、どうしてもその事が頭から離れないのだ。

黒田喜夫詩集 (現代詩文庫 第)

黒田喜夫詩集 (現代詩文庫 第)

2 お願いアマゾンしてから10日ほどで「朝鮮独立運動の血史1」「朝鮮独立運動の血史2」が届く。相変らず早いが、なんか一寸物足りない気がするなと。
 古本屋回りをしていた昔は、店長と仲良くなれば「それ読んだら次これ読んでみなよ」等いろいろ教えてもらえて結構次のステップや違う分野に踏み込めたのだ。
 これがかなり有難かった。
 ただ、お願いアマゾンだと適当に調べて適当に注文するだけなのでそれがない。これでは一寸面白みは無いなあと思う。まあ、これは得るものと失うもののバランスでもあるのだろうが。
 あとワイド版だったので一寸違和感があった。昔の函入の奴の方がよかったのに。なんか東洋文庫という気がしない(笑)
読み終わったら何かしら言及しようと思いますので、気長に待っててくださいって、誰もそんなもの待ってないな(笑)

朝鮮独立運動の血史 (1) (ワイド版東洋文庫 (214))

朝鮮独立運動の血史 (1) (ワイド版東洋文庫 (214))