日々雑論 歴史修正主義の考察 7 恐らく非常な嫌悪感と不快感を伴うと思われますので閲覧に注意願います

 えーと、まあ、vanacoralさん経由でわかったのだが釜ヶ崎地区での暴動騒ぎとか、にもかかわらずプチ暴君の誰かさんはお構い無しにふんぞり返って金集めとか、いろいろ言いたい事は山ほどあるんですが…
 こっちを取り上げねばならんでしょう。
 旧軍の性暴力問題です。
 旧軍の性暴力問題と言えば、南京大虐殺における略奪犯殺とか、従軍慰安婦の問題とかいろいろありすぎてどれを取り上げればいいのか困っちゃう、てな感じなのですが、南京大虐殺に関してはアタシみたいなヘタレよりよっぽどすぐれた論客の方が沢山いらっしゃるのでアタシなんざの出る幕ないし、従軍慰安婦のシステマティック制、軍の関与に関してもアタシの手持ちのネタでがたがた言うよりよっぽど凄い論客がいる。
 でも、具体的にどーだったのか?位は手持ちのネタでも述べられそうだ。「軍の関与」があって、「慰安婦」にされた方が実際はどうだったのか? また「慰安婦」関係ではないけれど、旧軍の軍政下で何が行われていたのかをここで述べる事は、あながち無駄ではなかろうと思うし、これなら手持ちでもうんざりするほど沢山あるしね。まあ、例にって軍政下のシンガポールをメインで見てみますが。
 では、いきますか…やだなあ…例によって太字と赤字はこちらでやります。
 (「日本軍占領下のシンガポール」より一部抜粋)

また、女学生を捕まえてゆくと、罪があろうとなかろうと、まず衣服を脱がせて、両手を縛り上げ、それから弄んだ。タバコの火を乳房につけたり、タバコの火で陰毛を焼いたりした。そして、女学生が「助けてください!」と泣き叫ぶと、凶暴な日本兵「ハッハッ」と大笑いして「ジョウトウ(上等)」と、繰り返すのだった。
 ピカリング街の中央警察のそばに住んでいた者は、よく拷問を目撃した。なぜなら、連中がこの拷問を加えるときは、窓も閉めなかったのである。少しでも人情のあるものは、悲鳴を聞くといたたまれなかったが、野獣のような日本兵には、これがかえって楽しみだった。(略)


うわ…
下手なエロビデオ真っ青です! どーよこれ?
じゃ、次、慰安婦いこうか?(「シンガポール華僑粛清」より一部抜粋)

(略)慰安婦にされた女性が「体が続かない」とそれ以上は拒否し、係の兵士も「今日はこれまで」と打ち切ろうとしたところ、列をなして待っていた兵士が騒ぎ出したので、嫌がる女性の手足をベッドに縛りつけて継続させたと言う状況を兵士が目撃している(略)


これも凄まじいな…うげ
では、最後に、「自ら望んでなった人たちばかり」というのに対抗してみましょうかねえ。(「シンガポール華僑粛清」「日本軍占領下のシンガポール」より一部抜粋)

「中国人接待婦数百人求む。年齢は17歳前後から。採用されれば、毎月150ドルを最低保障する(毎月1回の休日)。このほか、応募のさい、本人に3ドル、紹介者に2ドル支給。応募受付者はビーチ路のラッフルズホテルにて。また、接客婦経験者も可」昭和17年3月5日(日本軍が進駐してわずか20日後)に、このような広告を出したが、応募者が居なかったため、兵士をあちこちに差し向け、数百人の娼婦を駆り集めた。このなかには良家の娘さんも少なくなかった。(略)

軍が思い切り関与してますね

インドネシアからたくさんの「ロウムシャ」が船で運ばれてきたが、その中に白い制服を着た16〜20歳くらいの少女30〜40人くらいが混じっていた。彼女達は「看護婦になるために来た」語っていたが、実際には市内の慰安所に連れて行かれた。戦争が終わって、カトンロードにあった慰安所から逃げ出してきた彼女達は、オスマン氏に対して「看護婦にするといわれて来たが、慰安婦として働かされた」と語ったという。

 これは騙して連れて来ているとは言わないんですか?
 これ以上挙げても、とてもキリがないので2例だけにする。旧軍のやり口みてると本当にげんなりしてくるんだが、手持ちのネタを拾っただけでもこんなのがわんさか出てくる。という事はもっともっと埋もれているに違いないし、掘り起こせば掘り起こすほど吹き出てくるに違いない。