日々雑論 [差別問題][ニッポソ] 日本人は差別好き?

 うーむ、ニッポソの方々の言動を見たりするにつけ、前にもここで取り上げたがやっぱり山形浩生氏の発言って的を射てるなーと思うわけで。
これね

日本人の多くが、差別されることには妙に敏感なくせに、自分がやっている差別にはきわめて鈍感だという点だ。

 まあ、白い方々に対しての「差別用語」としての言葉は不勉強な為なのかあまり思いつかないし、あったとしても既に「死語」と化しているものしか出てこない。黒い方々に対しての「差別用語」も同様だな。とりあえず思いついたのが「ヤンキー」とか「黒んぼ」位か
 ただ、比較的お近くの方々に対してはどうだろう?
 見事なまでにすらすら出てくるんじゃないかな? 更に酷いのはそれを指摘されると逆ギレしたり屁理屈こねて正当化しようとしたり、挙句に果てには、言葉を操るプロの癖してどこかの首都の都知事様までが平気で使いまくって開き直っているし。
 まあ、それはさておき。
 ここからがメインディッシュです。
 よく学校とかのイジメ問題で「一緒にいじめないと自分がいじめられる」という話を見聞きするんだけど、決してそれだけじゃないとアタシゃ思ってる。一緒になって特定個人をいじめるのを楽しんでいる、筈だ、とにらんでる。 
 まあ、ここからはほんとーに下世話な話題になってしまうので批難、批判覚悟で敢えて述べさせてもらおうと思うが、SM雑誌やSMビデオなんかでよく女性が縛られてたりするのを見ちゃったりするときもあるんだけど(勘弁してね(笑))、結構「黒い紐」で縛られている事が多い気がするのだな。 
 この「黒」というのが曲者で。
 何がナンやらさっぱりわからんと言う人もいるだろうが、昔、罪人を縛るときにその縄の色で身分や罪の軽重があったのだ。例えば紫色は高貴な人、罪が軽いと白、重いと青、とかね。で、黒は誰を縛るときに使われるかと言うと、「身分の低い下人を縛るためのもの」という訳で。まあ殆どがんな事意識しねぇでやってると思うんだが、間違いなく「差別の快楽」は存在し、我々日本人はそれに酔いやすいのではなかろうか? 
 例が下世話すぎ? じゃもっと健全なネタで行こう。
 今でこそ「白米」なんざ当たり前、むしろ「玄米より健康に悪い」だの「パンの方がいい」だのといろいろ冷遇されてるが、ほんの少し前まではどうだったろうか?「銀シャリ」という言葉はもう死語になっているのかもしれんが、言葉くらいは聞いたことがあるだろう。時代劇なんかでよくあるやつだが、下男下女が土間の下で必死になって剥いた米を上から見据えながらこれ見よがしに見せ付けて腹いっぱい食べるという行為は、間違いなく「白米を食べられる身分」の人間が「食べられない人間」を見下すという、「差別の快楽」に酔っているのではないのか? 
 そうやって見ていくと、戦前における他のアジア諸国に対する侮蔑や略奪犯殺等の非道行為及びそれに対してなんら言及することなく「〜を××してやったのに」「所詮日本人が来なければ〜出来なかった癖に」等の「上から見下した差別発言」が平然と出てくるのも頷ける。 
 闇雲に「差別はいけませんよ」と問う前に、まず、我々は「差別の快楽」の存在を認めた上で、上手に制御・封印をしていかなくてはいけないのではないか?「差別をすることは気持ちがいい」のを認めた上で、「差別」をしないように「快楽」の「制御」や「封印」を行わなければいけないのではないか?と思うのだ。
 人間と言えども生物である以上、「本能」や「快楽」に惹かれるのはある意味仕方が無いのかも知れんが、逆に人間である以上、「本能」や「快楽」に負けてはいけないと思うのだ。これはニッポソ国民に限った事ではなく、我々全体に言える事なのではないか?