日々雑論 歴史修正主義の考察 その12 旧軍の比較

 えーと、「やるやる」」と言っておきながらすっぱりと忘れてた事を、今更ながらに思い出したのでやってみましょうかねえ。
 と言う訳で、旧陸軍とイギリス派遣軍との決定的な違いを述べてみましょうかという事で。
 簡単に言えば
 「兵站をどう考えているか?」
 につきます。

日本兵が背負っていたのは各自の武器、弾薬、医療品、それにわずかな食料だけだった。(略)日本軍は軽装備であり、食料もその土地土地で現地調達せればならないほどわずかであった。
 このとき、日本軍はイギリス軍のおかげで大いに助かったのである。前進する日本軍は何処へ行っても辻中佐が言うところの「チャーチルからの配給品」ちまり、イギリス軍が残してきた軍需品をたっぷり手に入れることが出来た。(略)

リー・ギョク・ボイ「シンガポール 近い昔の話」凱風社より一部抜粋

 領主と騎士の関係から絶対王政における傭兵時代を経て近代国民皆兵といった流れで近代戦争を文字通り学んできた国と、向う300年近く太平を味わい急に日清日露で略奪犯殺の味を覚えて狼藉の限りを尽くしまくったどっかの国との発想の違いが序実に現れてますね。勿論マレー半島シンガポール攻略における成功は、数年後洒落にならないほどの手痛いしっぺ返しを喰らうことになります。 
 その最たる例がインパール作戦ですね。
 牟田口廉也が立案、作戦したものであり、なんか牟田口一人の責任のように騒ぎ立てられてますが、このような前例が既に存在しており、インパールはそれを繰り返しただけ、の印象を受けざるを得ません。更に加えていうなれば、東南アジアにおける緒戦の勝利は「宣戦布告」すら行わずに英領に侵攻し、戦争時における最低限のルールすら破った旧軍の行為や、当時の欧州の状況で手一杯であったイギリス植民地に対しての火事場泥棒的な行為が功を奏しただけの話であり、そのあたりの思考が全く抜け落ちているがために、インパールにしてもかつての夢よもう一度と、もともと通用しない戦略で推し進め勝手に自滅した、と見るのが妥当と思われます。
 南京大虐殺にしろ大陸での略奪犯殺行為にしろ、「現地調達」という手段が機能していたからこそ出来たことであり、兵站を全く頭から無視しているため「現地調達」が出来なくなればそりゃ負けますよね。
 簡単に言えば、相手のものを分捕って勝とうとしてた、つー事です。相手のものを当てにしている時点で既に負けてます。どうもそこがわかって無いようで…

シンガポール近い昔の話 1942~1945―日本軍占領下の人びとと暮らし

シンガポール近い昔の話 1942~1945―日本軍占領下の人びとと暮らし