日々雑論[資料紹介] 丸山真男 日本ファシズムの思想と運動 その1

 えーと、よしりんとかニッポソの連中とかがどんなんかとか、色々考えてみるに一番的確かつこれ以上の物はないとおもわれる資料を見つけましたので数回に分けて全部引用

さてそれでは日本のファシズム運動の社会的な担い手と言う点においてどういう特質が見られるかという事が次の問題になります。−軍部官僚がファシズムの推進力であったのは言うまでもない事ですが、ここではそういう狭い意味ではなく、もっと広い国民的な面でいかなる社会層がファシズムの進展に積極的に共感を示したかと言う問題です。
 ファシズムと言うものは何処においても運動としては小ブルジョア層を地盤としております。ドイツやイタリーにおいては典型的な中間層の運動でありまして、−インテリゲンチャの大部分も、無論例外はありますが、積極的なファイズム、ナチズムの支持者でありました。日本におけるファシズム運動も大雑把に言えば、中間層が社会的な担い手になっているという事が言えます。しかし、その場合には更に立ち入った分析が必要ではないかと思います。わが国の中間階級あるいは小市民階級と言う場合に、次の二つの類型を区別しなければいけないのであります。第1は、例えば小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、そのほか一般の下級官吏、僧侶、神官というような社会層、第二の類型としては都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、そのほか自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層−学生は非常に複雑でありまして第1と第2と両方に分かれますが、まず皆さん方は第1類型に入るでしょう。こういったこの二つの類型を我々はファシズム運動を見る場合に区別しなければならない。
 わが国の場合のファシズムの社会的基盤となっているのはまさに前者であります。第2のグループを本来のインテリゲンチャとするならば、第1のグループは擬似インテリゲンチャ、乃至は亜インテリゲンチャと呼ばるべき物で、いわゆる国民の声を作るのはこの亜インテリ階級です。第2のグループは、我々が皆それに属するのですが、インテリは日本においては無論明確に反ファッショ的態度を最後まで貫徹し、積極的に表明したものは比較的少なく、多くはファシズムに適応し追随しましたが、他方においては積極的なファシズム運動の主張者乃至推進者ではなかった。むしろ気分的には全体としてファシズム運動に対して嫌悪の感情を持ち、消極的抵抗さえ行っていたのではないかと思います。これは日本のファシズムに見られる非常に顕著な特徴であります。翼壮の組織もサラリーマン層を捕まえる事にはついに成功しなかった。戦時中における文化主義の流行は第2のグループのインテリ層のファシズムにおける消極的抵抗と見られます。ドイツやイタリーにおいては知識階級が積極的にファシズムの旗を掲げてたった。特に大学生が非常に大きな役割を果たした事はご承知の通りでありますが、日本には果たしてそういう事がみられたかどうか。勿論右翼の運動にも学生が参加しておりますが、その学生は教養意識の点で、むしろ第一のグループに属していることが多い(ご承知のように、日本ほど、大学生と呼ばれるものの実質がピンからキリまであるところは一寸まれでしょう)そういう意味で、インテリ的学生層は終始ファシズム運動の担い手とはならなかった。之は、彼らが大正末期から昭和初期にかけての社会主義運動、マルクス主義の旋風に巻き込まれた程度とも比較にならない差異があります。東大にも一時学生協会というような、運動携帯においてナチス学生運動と酷似したものが出来ましたが、あれほど客観的情勢に助けられながらも殆ど発展せず、大部分の学生は無関心乃至冷淡な態度でこれを迎えたのであります。

まだまだ引用しますが、長いので今回はここまでっす。