日々雑論[資料紹介] 丸山真男 日本ファシズムの思想と運動 その2

 前回の続きです

承前)これは一つには、日本のインテリゲンチャが教養において本来ヨーロッパ育ちであり、ドイツの場合のように、自国の伝統的文化の中にインテリを吸収するに足るものを見出しえないことに原因があります。ドイツの場合には国粋主義を唱える事は、つまりバッハ、ベートーベン、ゲーテ、シルレルの伝統を誇る事です。それは同時にインテリゲンチャの教養内容をなしていた。日本にはそういう事情が無かった。しかし日本のインテリのヨーロッパ的教養は、頭からきた知識、いわばお化粧的な教養ですから、肉体なり生活感情なりにまで根を下ろしていない。そこでこういうインテリはファシズムに対して、毅然として内面個性を守り抜くといった知性の勇気には欠けている。しかしながら兎も角ヨーロッパ的教養を持っているからファシズム運動の低調さ、文化性の低さには到底同調できない。こういう肉体と精神の分裂が本来のインテリの持つ分散性、孤立性とあいまって日本のインテリをどっちつかずの無力な存在に押しやった。これに対して、先にあげた第一の範疇には実質的に国民の中堅層を形成し、はるかに実践的行動的であります。しかも彼らはそれぞれ自分の属する仕事場、あるいは商店、あるいは役場、農業会、学校など、地方的な小集団において指導的地位を占めている。日本の社会の家父長的な構成によって、こういう人たちこそは、そのグループのメンバー―店員、番頭、労働者、職人、度方、雇い美と、小作人など一般の下等に対して家長的な権限を持って臨み、彼等本来の[大衆]の思想と人格を形成している。こういう人たちは、全体の日本の政治=社会機構からは明らかに費支配層に属している、生活程度もそんなに高くなく生活様式においては自分の[配下]と殆ど違わない。にもかかわらず彼らの[小宇宙]においては紛れも無く、小天皇的権威を持った一個の支配者である、いとも小さく可愛らしい抑圧者でもあります。したがって一切の進歩的動向に対する―大衆が社会的に発言権を持ち、そのために自らを組織化する方向に対する、最も頑強な抵抗者は、こういう層に見出される訳であります。しかも尚重要な事は生活様式からいっても彼らの隷属者と距離的に接近しておりますし、生活内容も非常に近いという事から、大衆を直接に掌握しているのはこういう人たちであり、従って一切の国家的な統制乃至は支配層からのイデオロギー的強化は一度この層を通過し、彼らによっていわば翻訳された形態において最下部の大衆に伝達されるのであって、決して直接に民衆に及ばない。必ず第一の範疇層を媒介しなければならないのであります。他方またこれらの「親方」「主人」は町会、村会、農業会、あるいはもろもろの講、青年団在郷軍人分会などの幹部をも務め、そういった場所において醗酵する地方的世論の取次ぎ人であります。ヒュームと言う哲学者が「どんな専制政治でもその起訴は人の意見である」という事を言っていますが、確かにどんな専制政治でも、被政治者の最小限度の自発的協力が無くては存在する事は出来ない。そうして軍国日本において、この被治者のミニマムの自発的協力を保障する役割を果たしたものはまさにこの第一の意味での中間層であるという事が出来ます。実際に社会を動かすところの世論はまさにこういうところにあるのであって、決して新聞の社説や雑誌論文にあるのではないのであります。ジャーナリズムの論調が日本ではともすれば国民から遊離するのはなぜかであるかといえば、それがもっぱら第2範疇の中間層によって編輯され、したがってその動向を過大視するからであります。例えば昭和10年初めの天皇機関説諸問題についてみても、−これは日本のファシズムの進展において非常に重要な意味を持ち、また岡田内閣の命取りにまでなりかけたものですが、−あの事件があれほど大きな政治社会問題になったのは、それが第一の範疇の世論になったからであります。貴族院で是が問題となった後、大きな社会的波紋を呼んだのは、在郷軍人会が全国的にこれを取り上げて運動を起こしたからであります。政府はもとより、軍部でも上層部は最初は是を単なる学説上の一見解と看做す態度を取っていた。その証拠としてこれが貴族院本会議において問題となったとき、陸海相のなした答弁を見ておりますと、大角海相は、「吾国体の尊厳無比なるは議論するさへ恐れ多い事だと思ってゐる。しかしこれは憲法の学説に値する答弁ではなく信念として申上げるのであるからご了承願ひたい」といい、林陸相も、「美濃部博士の学説は数年に亘って説かれてゐる所で、この学説が軍に悪影響を与へたという事実は無い」と断言しております。軍部も首脳部はあまり問題にしていなかったのです。アレが大きな政治問題になったのは、政友会が倒閣運動としてあの問題を利用し、蓑田胸喜などの民間ファッショと一緒に国体明徴を騒ぎ立てたからであり、社会的に波及したのは、全国の在郷軍人会の活躍があずかって力があります。専門の学者や文化人の間ではもとより、管理や司法官の間でさえ、多年怪しまれもせずに常識化していた学説が社会的には全く非常識な、ありうべからざる考え方として受け取られたこと、−この事件ほど、インテリ層と国民一般の知識的剥離を鋭く露呈したものは無いと思います。

まだまだ続きますが、目が痛いので今日はここまでです。読むとすぐに終わるのに打ち込むのって時間かかるね。