日々雑論 歴史修正主義に関する考察 14 いいかげん被害者ぶるのやめようよ その1

 とりあえず一番鬱陶しい月は何とか乗り切りました。が、まだまだ自民党総裁選が控えており鬱陶しさと暑苦しさは当分収まりそうにありません。
 それはさておき
 まあ、近代東洋史に首を突っ込めば突っ込むほど「どの面下げて日本は被害者ぶってやがる」とほとほと情けなくなってくるのですが、前のエントリで紹介した丸山真男論文にも見られるように、これは一つに「インテリモドキ」の存在が非常に大きいと思われます。ネトウヨサヨクをとことん嫌いますが、サヨクと言えば乱暴な言い方をするならインテリだ。この場合の「インテリ」は「出身大学の学歴」等と言った、一発でわかるようなものではなく、ちゃんと「本を読み」きちんとした「教養と知識」を身につけた「思想、発想の持ち主」という意味合いで捉えている。
 勿論あたしゃただの面白主義なので、クソ面白くも無い日本の共産党に代表される代々木のエリート連中を支持する訳では絶対に無いけれど、それまで「中間保守層」だけで占められていた「インテリモドキ」がネットの普及と中間所得層の壊滅的ダメージにより炎の如く広がった、とみるのが一番現状に合いそうだ。
 それが証拠に一昔前のアングラ8mm自主制作映画だと、ウヨをメインに嘲笑しコケにしまくったギャグ映画は「愛國戦隊大日本」とか「国防挺身隊」とか思いつくが、左を中心のネタに据え、嘲笑しコケにしまくったものってあるかい?と問われると思いつかん。せいぜい最近北朝鮮ネタがちょぼちょぼ出てきたくらいでしょ? しかもギャグで茶化すと言うよりどちらかと言うと直接侮蔑の対象だ。茶化して小馬鹿にするのではなく、直接侮蔑の対称にするやり方はどうみてもセンスのあるやり方とはかけ離れている気がしてならない*1。まあ、ここんところが日本のギャグセンスの無さなんだろうけどね。
 で、ここからが本題です。
 前のエントリで、「日本の反戦運動というのは奇妙なキメラである」とちらっと述べたのだが、いったい何のことやら?と首をかしげる人も少なくないのではなかろうか。今回は日本の反戦運動についてちと首を突っ込んでみたいと思います。
 その前に、恐らく大多数の今を生きる日本人が持っていると思われる認識を、ちと拾い出してみようかと
 以下、至文堂「現代のエスプリ 特集ファシズム」解説―ファシズムとは何か―より抜粋します。太字赤字はこっちで加工

(略)今、この戦前・戦後の連続・非連続の捉え方を、倫理的にパターン化してみると次の三形態に分類できるであろう。第1には、非連続性の前提の下に、戦前、戦中の政治責任は、戦後の全く異なった政治体制の下で解消したと主張するパターンである。これは日本人の責任論に特徴的な「水に流す」論法で、政治的にしばしば「みそぎ」論として展開されている。
 第2の形は、連続説的で、戦後民主主義体制の底部には政治責任の未解決から来る潜在的ファシズム化の潮流が流れているのではないか、という見方である。このような見解は国内にもあるが、文部省の教科書検定を批判した中国や韓国などの日本を見る目の中にも、このような疑念を潜ませている事は否定できない。
 第3は同じく連続的であるが、そもそも日本にファシズムなど無かった。戦前も戦後も、ことによると5か条の誓文が出された明治維新以来、日本は一貫して民主主義的リーダーシップんも下にあった。したがって連続しているのは当然と言う考え方である。この場合民主主義の意味がForThePeopleに限定され、ByとOfは除外されているのが特徴的である。このような主張はたとえ明示的でなくともムードとして、感覚としては広範に息づいている。恐らく経済の高度成長以来の日本人に支配的なムードは、第1と第3のパターンを混合した線に帰着していると言えよう。我々はあまりにそれになれすぎているため、外からの指摘を受けて驚くのである。(略)

 もー説明としてはこれだけで十分過ぎるほど十分なんすけど、更に加えて、代表的な日本の反戦論や反戦文学をあげてみようか? 多分物心ついたときから「聞かされて」名前くらいは知っているだろう物をてきとーに挙げてゆく。
 「きけわだつみの声」「火垂るの墓」「黒い雨」「ひめゆりの塔」「はだしのゲン」位かな?パッと思いついただけでも。前エントリでも述べたように「はだしのゲン」は確かに評価してるけど、これらのどれもこれも共通して言える事が一つある。
 やられた側からの反戦厭戦論だという事だ。
 付け足しすると、これら『だけ』を読んでもなぜやられたか? 何故都市爆撃を喰らわなければならなかったのか、その理由が全くわからない! 
 そりゃこれらだけですませてりゃ間違いなく理不尽に攻められたと思うわな…
 し、か、し、である。
 ちとここでまたシステムソフトの傑作シミュレーションゲーム「空軍大戦略」にご登場願うわけだが、ミッションクリアの方法として、長距離航行可能な戦略爆撃機で生産拠点を焼き払うやり方が一番手っ取り早かったりする。生産拠点といえば大工場や工場が挙げられるのだが、大都市や都市を焼き払ってもポイントは高かった。
 とりあえずこれを覚えておいて貰うとして…
 次に、当時の日本の軍需生産の割合を見てみると…
 一番簡単に、軍事支出で見ていこう。
 1940年で見てみると…
 岩波書店「アジア太平洋戦争史 山中亘」著より拾うと…
 歳出総計94億500万円のうち…軍事支出が67億6400万円
 なんと総支出額の7割を超えている。 
 一概には言えないが、これをみるだけでも工場での生産はまず第一に軍需物資であり、これみて流石にタオルや洗面器等の民需品をたくさん作ってるとは誰も思わないだろう。軍需物資の生産を潰すには、兎に角生産力を潰さなくてはならないわけで、日本の工業を支えていたのは沢山の中小工場が中心である事なんかを考えると、広い範囲にわたって中小の工場を消滅させる必要があったのだ。
 で、その上足すと、非合法反政府運動なんかも非常に貧弱で、少なくともパリ占領下でのレジスタンス活動や、ナチスに徹底的に弾圧されたドイツ共産党、POUMとスペイン人民戦線の末路のような事件や戦争、紛争などを調べてみても、特高による小林多喜二虐殺事件とか、ちまちまと日本では非合法的に日本共産党がちょぼちょぼと生き繋ぎをしてたくらいでしょ? 澁澤龍彦の手記にあるように「海軍のお偉さんが来たときにダイキャストをわざと飛ばして火傷させ」て憂さを晴らすのが関の山で。
 結局何が言いたいかって?
 戦中においては民間人といえども「戦争協力者」が殆どであり、真の意味での戦争被害者はそんなに居ないよ、という事を言いたいのだな。じゃ、「真の戦争被害者」ってどんな人?となると思うが…リベラル的思想の持ち主で周囲から村八分にされていた人たちとか(はだしのゲンの両親のようにね)、半島や大陸から強制連行されて強制労働を強いられた方々、などが挙げられる。そういった意味では間違いなく日本国民の殆どは加害者なのであり、被害者であるというのはただの思い込みに過ぎない。このネタ続きます。

アジア・太平洋戦争史 同時代人はどう見ていたか

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*1:そういう意味でも安永航一郎とかあさりよしとおとかのギャグ漫画センスはいつも流石だなと思う。悪のラジヲマンとかね