日々雑論 歴史修正主義に関する考察16 いいかげん被害者ぶるのやめようよ その2
さて、日本屈指のギャグメーカーのぶっ飛び発言とか河野氏引退やら何やらでちと手付かずになっておりましたが、そろそろ続けます。忘れた頃に思い出したように続けるというのは結構好きなので。
それはさておき
何度も何度も繰り返している事だけど、あちき自身は「左翼面白主義」を自称している訳だ。財産は適当に丼勘定、衣食住さえしっかり普通に足りてりゃ事はヨシ、あとは面白いかどうかが第一と言う極めて大雑把と言うかテキトウというかそんな意味合いでしかないのだが、所詮思想なんてぇもんは他人様からの借り物で、それを以下に自己流に咀嚼できるか、だけの話だからここではそんなにグダグダ言わない。
で、ネトウヨの連中が「岩波」とかのリベラルを「サヨク」扱いするという大いなる謎もあるのだが、それは今回の本題ではないので隅に追いやって、ネトウヨや歴史修正主義の面々がなんで「被害者ヅラ」すんのかねー、という謎の続きです。
で、今回は戦後日本の大多数が感じている「反戦」を主に考えていきたいと。
まあ、前々から日本の反戦論は「奇妙なキメラである」としつこくしつこく述べている訳なのだが、なんで「奇妙なキメラ」なのか?と言うところが抜けてたな。
その前に「キメラ」って何ぞや?
お手軽ウィキ先生に尋ねてみよう
キメラは、生物学において、同一個体内に異なった遺伝情報を持つ細胞が混じっていること。名称はギリシャ神話に登場する伝説の生物(キマイラ)から。近年は「キメラ分子」「キメラ型タンパク質」のように「由来が異なる複数の部分から構成されている」意味で使われることもある
要するに、全く違ったものが混じって出来たもの、とすればよいようだ。
じゃ、なんで日本の反戦論が「奇妙なキメラ」なのか?
こぼうの頃から徹底的に叩き込まれた戦争の悲惨な体験として、「都市大空襲」「原子爆弾投下」くらいが挙げられると思う。で、こんな悲惨な体験を舐めたくない、後世に舐めさせたくないから戦争はしてはいけないよ、とこのように繋がっていくのが戦後の反戦論の主流だったはずだし今でもそうだろう。
一寸待て、なんか変じゃねぇか?
この論調だと「悲惨な体験を舐めるのでなければ」戦争しても「いいんだよ」につながらねぇか?
何が言いたいかといいますとですね…
先のアジア・太平洋戦争において「侵略戦争」(まあ、アチキ自身はあんなものは世界規模の食い散らかしであり、戦争ですらなかったと思ってますが)という認識が決定的に欠けており、一方的にやられた事実のみを拾い出し、自らは被害者で可哀想だ、という認識のみが一人歩きしており、敗北にいたるまでの流れをあくまでも「点」でしか見ていないため、某コバヤシとかいう変な奴の戦争論とかいうくだらねえ漫画の「やられっぱなし」発言が大うけする訳だ。
やられっぱなし、ではなく、オイタが過ぎたからお灸を据えられたのであって、自身のやらかした「オイタ」に関しては何ら言及されてない。ここで問題になるのは「戦争ですらなかった」ところにあるわけで。
「戦争とは政治の延長である」というのはクラウゼヴィッツの戦争論でのこれ以上無いほど有名な言葉だが、当時の日本の政治状況は良好どころか大飢饉と世界恐慌のあおりを受けてどん底まで落ちていたのは前回のこのエントリで述べたとおりだが、利益ばかり追求する大財閥や、それに追随する政治家連中、一向に上向きにならない生活…ここでオカミのとった手段が大陸への武力侵攻であり、決定的に間違った一手を打ってしまった訳で。国内での政治的矛盾や貧困格差の増大による問題を、国内における富の格差の是正に何ら手をつけることなく、極めて無計画かつ簡単に大陸への武力侵攻によって解決しようとしたという所がまず一番の間違いだ。
普通であればこのとんでもなく広がった富の格差の是正のために、富める所から様々な規制や各種抑制措置などを使って広く再配分する機能を果たさなければならない行政が、むしろそのような富の再配分運動を弾圧しつつ、半島や大陸に手出しして分捕ってこようとした所から決定的に間違っている。
極めて簡単に言うとですな…
分捕られたてめーの財産を分捕った相手から取り返すのではなく、その分捕られた差額分を全く関係の無い他所様から分捕ろうとした訳で。
まだ続きます