日々雑論 歴史修正主義に関する考察 その16 ネトウヨの嫌いなもの

 まー水島某の主催するチャンネル桜がスカパーすら放逐されてしまい半死半生の状態で誰かとっととトドメさしてやれよとか相変わらずみくしの時事問題関係、東洋史関係の劣化振りと気持ち悪さには閉口して頭抱えちまったりとか、ハッシッシは判決には神妙に従うとか言ってる割には上告するとか言ってるしもう一方のアジ番組はのうのうと責任逃れて続いてるわという洒落にならない状態が連荘で続いており、本当に困ったチャン状態なのですが、つい最近自分の頭に持ち上がった疑問がどーも解せない。
 ネトウヨが目の敵にしている方々って全然「サヨク」じゃねーんですがなぜネトウヨは「サヨク」定義をするのだろうか?
 いわゆる「サヨク」定義された方々の意見やブログなんかを廻ってみても、無政府共産の「き」の字も出ていない事がほとんどで、今のご時世そこまで唱えるのはよほど肝が据わっているのか、オイラみたいな面白主義の生き残り位だろう。共通していえる事は、ただ「歴史修正主義」という妄言に反対しているだけなのだけど。
 最近ほとんど無視しているが、バカブログの代表格で更に腐敗臭漂うコメしかつかない某所においてそれが顕著なので、サンプルとしてもう一度あげるけれど、あそこで事あるごとに槍玉にあがるid:Apeman様やid:bluefox014様などのエントリやコメントを、目を皿のように読んでもただの一つも「無政府共産」という言葉はおろか、富の分配や私有財産の共有に関しては一言も言及されてない、というより全く問題にされていない。
 にもかかわらず、である。
 「サヨク」認定しているのが全く理解できない。
 左かどうかの違いなんて私有財産を認めないかどうか「だけ」の違いであり、全くその事に関しては問題にしていないにもかかわらずリベラル的な発送をするとニッポソ人はとたんに拒絶反応を示して「サヨク」呼ばわりする。ニッポソ人はサヨクというものが良くわかっていないのではなかろうか?
 ここで改めて、ニッポソ人が嫌いな物を考えてみようと思う。
 ここで、すでに何度も引用しているのだが、もう一度丸山真男論文を引用してみよう。見飽きたかもしれないけれど、ネトウヨやインテリモドキ考察の重要な鍵だから何度でも引用する。
 どの部分かって? この部分さ

日本におけるファシズム運動も大雑把に言えば、中間層が社会的な担い手になっているという事が言えます。しかし、その場合には更に立ち入った分析が必要ではないかと思います。わが国の中間階級あるいは小市民階級と言う場合に、次の二つの類型を区別しなければいけないのであります。第1は、例えば小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、そのほか一般の下級官吏、僧侶、神官というような社会層、第二の類型としては都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、そのほか自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層−学生は非常に複雑でありまして第1と第2と両方に分かれますが、まず皆さん方は第1類型に入るでしょう。こういったこの二つの類型を我々はファシズム運動を見る場合に区別しなければならない。
 わが国の場合のファシズムの社会的基盤となっているのはまさに前者であります。第2のグループを本来のインテリゲンチャとするならば、第1のグループは擬似インテリゲンチャ、乃至は亜インテリゲンチャと呼ばるべき物で、いわゆる国民の声を作るのはこの亜インテリ階級です。

 更にこの部分

 (略)注意すべきは第一範疇の中間層の知識、文化水準と、第2範疇の本来のインテリとの水準との著しい隔絶であります。(略)この料層の教養の違いが甚だしい事、他方第1の範疇の中間層は教養においては彼らのは以下の勤労大衆との間に著しい連続性を持っている事、大衆の言葉と、感情と、倫理とを自らの肉体を持って知っている事、これがいわゆるインテリに比して彼らが心理的によりよく大衆をキャッチ出来るゆえんです。しかも尚彼らを私が擬似インテリとか、亜インテリとか呼ぶのは、彼等自身ではいっぱしインテリの積りでいる事、断片的ではあるが、耳学問などによって地方の物知りであり、特に、政治社会経済百般のことについて一応オピニオンを持っている事が単なる大衆から彼らを区別しているからです。(略)日本において、第2の範疇の中間層が一般の社会層から知識的=文化的に孤立した存在であるという事は、総合雑誌というものの存在、純文学という妙な名前があること、岩波文化といったもの、-これらがいずれもインテリの閉鎖性を地盤にして発生している事にも象徴されておると思います。(略)岩波文化があっても、社会における「下士官層」はやはり講談社文化に属しているということ、そこに問題があります。(略)

 これだけ抜き出して纏め上げれば一発ですな。ネトウヨ、インテリモドキの発言が比較的世間一般に広まるのに比べて、リベラル的発想や思想を蛇蝎のように嫌い、唾棄する理由が良くわかりますね。更に今では「講談社」文化ではなく、ネット、テレビ、「産経新聞」文化とでも置き換えれば十二分に通用します。
 いや何がいいたいか、つーとですね。インテリモドキはインテリが大嫌いであるにもかかわらず、自分自身がインテリだと信じて疑わず、また一応は世間一般のことについて中途半端とはいえども発言できる知識と教養を持っており、更にそれ以上首を突っ込む事を嫌がるくせに扇動する。で、本来のインテリ層が否定すると、もともとのプライドを潰された形になり、躍起になって攻撃する。しかし本来の「インテリ」でもないので「サヨク」と「リベラル」の区別が出来ず、結果的に「サヨク」の意味を理解しないまま「サヨク」レッテル貼りに終始するのでしょう。事実まともな論陣を張る右派はそんなことで「サヨク」レッテル貼りをしませんしね。
 まあ、結論としてひとつ言えることは、
 いい加減「オベンキョウ」してくださいね、というただ一言で終わってしまうのですが