日々雑論 久生十蘭「従軍日記」

 魔界衆橋下の統治下にある魔界都市大阪はさておいて、まあ、文化論なんて大層なモンでもないけど麻生太郎氏について感じた事をあーたらこーたら駄弁ってみます。現実逃避も済んだ事だしね。
 と、ゆーわけ、で、なんでこんなに言動にげんなりするのに麻生太郎と言う存在を意識して、つい追いかけてしまうのか前々から不思議に思っていたのだが、ひょっとして存在自体が麻薬なのかも、と思ったりもする時がある。他の―例えば中山成彬みたいなコメディアンとかだと―瞬間芸ネタで消えてしまい、あまたの芸人のように忘れ去られる存在にしか感じないのだが、このお方だけは瞬間芸だけでは終わらないような気がしてならない。
 で、少し考えてみて、思い当たる節があった。
 麻生太郎という存在自体が天然の悪趣味なんだ。
 比較対照で福田前総理大臣を引き合いに出すが、今年の2月、テレビニュースで女性の番記者から福田前総理がバレンタインチョコを貰ってたのを放送していたが、その時の返答がなかなか粋で感心した覚えがある。何言ってたかはもう忘れちゃったけどね。
 まあ、悪趣味云々と言う前に悪趣味とは何ぞや?というところから始めようかねえ。

 キッチュとは、他人の趣味の事である。つまり、こちらから見れば、楽しさを履き違えてるとしか思えないような邪魔な存在の事である。兄貴の裾の広がったズボンをお下がりではかされたときのように、最初の衝撃が鎮まった後では、そのものの本当の姿を楽しまざるを得ないのだ。つまり、くそいまいましいお笑い草として。キッチュの魅力の根本にあるのは、人々に、これらのものがどうして最初魅力的に見えたのだろうという戸惑わせる力なのだ。キッチュは、悪趣味が生み出したものであるが、単なる悪趣味ではない。それは人をひきつけると同時に反感を覚えさせると言う、とても力強く誘惑する力を持っている(略)

 ユリイカ臨時増刊 悪趣味大全「トラッシュ・エステティック」ピーター・フォアード著より一部抜粋したが、だいたいこれで説明がつくと思われる。でなければ、てめーの酒で飲みに行ってそこを記者につつかれて、なんであんなに猛烈に逆上したのかの説明が全くつかないのよ。
 自分自身が「とても趣味が良い」と感じてやっていた「高級バーでの遊び」を「この不景気なご時世に豪遊とは趣味が悪いね」と揶揄されたと解釈したからじゃねえのか?と感じている。まあ実際その通りなんだけど、その行為に対しての記者への切り返し方で如何様にも粋なお大尽を印象付けられたのに、最悪の一手を打ってしまった訳で。 
 で、ここでやっと久生十蘭の登場である。
 今、ロシア・アヴァンギャルドとほぼ同時進行で読んでいるのが久生十蘭「従軍日記」な訳だが、これもゆっくりゆっくり読んでいる訳でなかなか進んでいない。まあ、半分ほど読んでいるのだが、日記なんだから別にいいじゃん私的な事で、とも思っちゃうんだが言葉の魔術師、粋の極地、縦横無尽の知識の博覧会でもある十蘭こと阿部正雄の事だから、めりけんじゃっぷジョージ・テネイこと長谷川海太郎のめりけん放浪譚のように縦横無尽、面白そうな事、変わった事の羅列でさぞかし楽しいに違いない、と大いに期待を抱いて買った訳だ、が…
 極論を言うと、戦地と言っても後方で酒飲んで麻雀して女抱いて「つまんねえ」で終わり。というよりその繰り返し。まあ、他にこまごました事が書かれているのかも知れないし、まだ途中だから言い切ってはいけないのは判っているのだが、本当にそうなんだもの。これが一向に頁が進まない理由でもあるんだけどね。
 だが、ここに「粋」な人間の回答があるように思えるのだ。
 刻一刻と変わる戦況に一喜一憂する訳でも無し*1、現地の見えてこなかった状況などについてジャーナリズム魂を発揮して手広く探求する訳でもなし*2、ただ、「何処そこで酒飲んだ後麻雀した、女を抱いたがここではこんなものだろう、つまんねえ」でおしまい。勿論従軍日記での行為に関しては全面肯定する訳ではないんだけど、この無頼振りに半ば呆れるとともにある種のダンディズムを感じるのも事実な訳で。
 で、また麻生太郎に話を戻すが、秋葉原でのパフォーマンスにしろスーパーマーケットやタクシー乗務員視察にしろどうも一連の行動について感じるのが「キッチュ」としての「悪趣味」なのだ。で、本人がその一連の行為を「計算ずくで露悪的にやっている」訳ではなく、「己の趣味の良さ」を大いに宣伝していると勘違いしている所が更にご本人の悪趣味ぶりを増加させていると感じる訳で。*3

久生十蘭「従軍日記」

久生十蘭「従軍日記」

*1:あの十蘭がそんなありきたりな事を書く筈がないと思っていたので買ったんだけどね

*2:実際これを期待して買ったので肩透かしもいい所でした(笑)

*3:勿論それに対して大いに賛同する連中は言わずもがな