日々雑論 ロシア・アヴァンギャルド展

 ちーとお仕事の関係でフラフラこいておりまして、更新を少しばかりスルーしておりましたがこんな僻地にアホウのカキコがあったようで。一応整理しておきましたがアホウ当人の日記がヨシコタンFC(別名ヨシコタン珍理教教徒)のみ公開のカルト内輪日記のようなので相応の対策が取れないのでどーしていいやら(笑) まあアチキは別に右派の意見を全く受け入れないとかそんな事は全然無いのだけど、提示してくる基本骨格が「尊師ヨシコタン」こと櫻井よし子じゃねえ…憂国国士様気取るんだったら女性国粋運動家市川房江とか、それが無理ならせめて頭山満翁とか大川周明とか持ち出してこいやサル(嘲) 同じ事は「クライン孝子タン」を基本骨格としている「クラインタン親衛隊」にもいえる事なんだけど(笑)
 で、ここでは事ある毎に「右派の劣化振り」を小馬鹿にしてるんだけど、いまいちキ印の方々が釣れないなーと思ってたらこの数日でキな方がいらっしゃって産廃コメを撒き散らしたようですのであらかた掃除しておきましたが「ヨシコタンFC会員」の劣化振りを示す証拠として、一つだけは残す事にしておきましょうか(笑)
 で、id:poppo-x様からの有難い情報提供により、このid:ravianroseとかゆーぢょうをうさまの劣化振りを曝しておきますのでそこんとこよしなに(笑)

ジュゴンネッシーと同じで現実には存在しない。UMAの一つとして、謎の生物に加えてほしいくらいw
なのに本当にいると信じてるイカレタ県民には呆れる。良く言えば、純粋な人々。
基地のない沖縄は無人島になる。あるいは、中国に侵略されて、北方領土の二の舞にならないと、あの人達は、
目が覚めないだろうね=3。
楽園はサッカースタジアムとライブ会場とベッドの上にしか、存在しない(爆
もう、徹底した、反米と反日には、呆れる。みたこともない生き物を何故いるといいきれるのか。
カッパや人魚ですら、童話の世界にしか存在しないというのにw
そのうち、ペガサスを見た、という人が現れるかもwww
だいたい、イルカを常食してる人達にくじらを食うなと言う資格はない。
くじら鍋食べたい☆
ひてんまには自衛隊の基地をおくべき。
私は愛する人を失ってでも、竹島北方領土尖閣諸島対馬を守りたい。全国の米軍基地がなくなって、変わりに自衛隊基地がたくさん、増えればいいな。

あまりの内容に腰を抜かしてラジヲマンの原子炉の1時冷却水のように小便ダダ漏れで吐き気がしてしまうんですが、(特に太字赤字強調部分)ためしにジュゴンが本当にいないかどうか、水族館のメニューを調べてみましょう。

人魚伝説のモデルになったと言われるジュゴンを飼育展示しています。世界初の二世誕生にむけて、大きな期待が寄 せられています。
ジュゴンは、イルカやアザラシ、そして私たち人間と同じ哺乳動物の仲間で、昔から人魚伝説のモデルとして親しまれてきました。かつては大西洋を除く熱帯、亜熱帯の海に広く生息し、沖縄付近にもかなりの数がいましたが、今では日本近海などでその姿を見ることはほとんどありません。現在は生息数が減少したため国際保護動物に指定されています。

ジュゴンマナティーは海牛類と呼ばれています。水中をゆっくりと泳ぎながらジュゴンが好物の海草を食べている様子は、まさに草原で草を食べている牛を想像させます。しかし、歯の仕組みはゾウなどに似ていて、小さな牙もはえることから、ゾウと近縁だろうと考えられています。
ジュゴンの飼育
ジュゴンの飼育の試みは、1955年にサンフランシスコのスタインハルト水族館が、パラオ諸島で捕獲されたジュゴンを飼育したのが最初です。世界で30例以上の飼育記録がありますが、いずれも短期間の飼育に終わっていました。性質はおとなしいジュゴンですが、とても神経質で音や光に敏感なため、飼育は非常に難しいと言われています。
鳥羽水族館では1977年から、ジュゴンの飼育研究を始め、世界で唯一、ジュゴンをペアで飼育展示しています。オスの「じゅんいち」は、1990年に長期飼育世界新記録(10年10カ月)を達成し、現在でも記録を更新中です。また、1987年にはフィリピンのアキノ大統領から日比友好の印としてメスの「セレナ」がプレゼントされました。(鳥羽水族館案内 〜人魚の海より部分抜粋

どうやらこのぢょうをうさまは好きな方と鳥羽水族館にデートした事がないようですね。あ、そうか自衛隊基地を守るために名誉の戦死を遂げたんでしたっけ(笑) 
 前置きが異常に長くなりましたな。
 というわけで、美術展に行こうとかいろいろ気力が回復してきており鬱もだんだん良くなってきているのがわかるので嬉しかったりするのだけれど、ここから本題です。
 というわけで、「青春のロシア・アヴァンギャルド」展に行ってきました。
 ロシア・アヴァンギャルドという芸術運動自体にはいろいろ数々の思い入れがあって、一度この目で触れてみたいという思いが凄く強かったのだけれど、新聞を何気なく捲っていたら地元の美術館で開催されている旨を知り、矢も盾もいられなくなって夜勤明け時に行って来ました。
 革命と芸術運動がともに(利害関係の一致という側面はあったにしろ)相互に反応しあい、爆発的な化学変化を起こした稀有な事例として、前々から凄く興味があった。
 結局は富裕層「NEP」の台頭に対する保守化や内部分裂などで衰退し、最終的にはスターリンの実権掌握や、それによる左派、右派問わず徹底的な弾圧と粛清で完全に息の根を絶たれるのだけど、詩、アジ、ビラや絵画といったものから、演劇、テアトル、建築にいたるまであらゆる分野での芸術実験運動が炸裂した本当に一瞬の煌きを、この目で体感したくてたまらなかったのだ。
 ロシア・アヴァンギャルドの終焉に関しては俗に言うスターリンがすべてにおいて実権を握ったから息の根を絶たれたというような筋書きが一般的だと思うのだが、結果的にそうなっただけでスタ公が出ようが出てこまいが遅かれ早かれ政治権力によりいずれはその命を絶たれていたと思われる。

(略)ではレーニン自身はどうなのか?ハレとケが分離したままその一身において同立するレーニンは、あるケの場面でこういっている。
「わしはねえ、芸術には強くないんですよ。…芸術って奴は私には、インテレクチュアルな盲腸みたいなものであって、わしらに必要な宣伝の役をやってもらったら、後はもうジョキ、ジョキと切り刻んでやるんです。廃品処理という奴ですな」(ユーリー・アンネンコフ「同時代の肖像」現代思潮社版)(略)

以上は「国文学 解釈と鑑賞」第38巻14号「革命の神話と文学」内の「現代文学と革命思想」内村剛介からの抜粋だが、政治の芸術に対する考え方を叙実に表している。ただ冷静に考えてみるとエイゼンシュタインの映画なんかは革命政府の協力無しには成立すらしなかっただろうし、「カクメイ」という一連の政治的実験行為が芸術におけるこの上ない起爆剤として作用した事もまた間違いない事実なのだ。
 歴史に「IF」は禁物であるというのは既に使い古されて手垢に塗れた常套句なのだけれども、そういう意味においても遅かれ早かれロシア・アヴァンギャルドの一連の芸術実験は、いずれは衰退し終焉を迎える運命にあったと思うのだけど、カクメイが始まり、ハンカクメイに終息するまでの間のその一瞬の間に、強烈過ぎるほどの眩い煌きと衝撃をもたらした驚きと熱気を追体験する事は決して無駄な事ではないし、また今の時代において我々が決して味わう事の出来ないであろう運動である事も間違いじゃない。
 所詮政治権力に対する「芸術」なんざ無力なものよのうと侘び寂の世界に浸るのもまた一興なのだが、こうやって気の遠くなるような長い期間を経て再評価され、熱気と衝撃を味わうにつれ、この、表現が封印されていた「熟成期間」は決して無駄なものではなかったと思うし、そういう意味でも決して無力ではないと改めて思っている。
 久し振りにいい刺激を味わい、ちょっと言葉が纏まらないのが残念だが、まだ期間はあるのでもう一度足を運ぼうと思っている。
岐阜県美術館−「青春のロシア・アヴァンギャルド展」−サイトはこちら