日々雑論 歴史修正主義に関する考察 24 日本「だけ」が本当に悪いのか?(実際悪いんだけどね)その2

 まあ乗りかかった船だし某所に於いて少し絡んできたのだが、近代史に首を突っ込む資格ねえなあれはとしか思えない訳で。あれだけ修正不可能な補正がかかってしまっていては近代史に首突っ込んでもまともな結論が出るとは到底思えない。
 とまあ、愚痴はさておいて。
 世界を見るにイスラエルのガザ侵攻とかいろいろ取り沙汰されてますが、まだアラブ情勢について薀蓄をたれるほどの実力は私にはついておりませんので、とりあえず小さな声であれはやりすぎだよとボソボソつぶやいてみるだけにして、ここではしつこくしつこく日本「だけ」が本当に悪いのかどうか(実際悪いんだけど)、きっちり落とし前つけてみてきますんでそこんとこ宜しく。
 で、今回から暫くの間、明治に於いて半島に対してなされた数々の事柄を、主に西欧人の立場からどう映ったか?を拾い出してみようかと。 
 とりあえず何度も取り上げているが、F・A・マッケンジー「朝鮮の悲劇」より

(略)韓国内での日本人官吏に対する大きな不満は、彼らが一様に、一人の日本人の立場からものごとを見、韓国人の見地に立っては決してそれを見ないという事である。そこには、韓国人の生活の全面にわたる大規模な収奪体制がある。あらゆる利権は日本人に授けられ、あらゆる契約が寛大な条件で日本人に与えられ、移民法や土地法や一般的行政措置が、全て日本人の利益だけを念頭に於いて遂行された。また国の改善のために一千万円の借款が調達されたが、その金は、韓国の関税収入を担保にした年利6.5%のものであったにもかかわらず、実際には日本興業銀行から債権額100円に対して90円の割で借用したものだった。これはまさに法外な条件のものである。「ジャパン・タイムズ」紙の記事の一説は我々に次のように告げている。すなわち
「韓国政府は、その国内財源確保難のため、日本郵政省に対して、〔年々〕25万円を支払わなくてはならない」
と。つまり、日本政府は、まず韓国の郵便局を差し押さえてその従来の韓国人従業員を追い出し、これまで以下のサービスを提供し、しかもなお韓国国民から彼等日本人従業員の労働の代償として、年々の重い追徴金を韓国人に課するのであった。さらに一例を挙げれば、済物浦の市街地は殆ど全くの日本人居住地であったが、その飲料水供給の問題はまた一つの難事であった。統監府は、親切にも、この港都の水道施設工事費として、韓国政府の借款中から230万円を支出することに同意した。これはつまり、日本人市街地の飲料水供給費を全国の韓国民衆が負担する、という事だったのである。私は、これと似たような非常に沢山の大小さまざまの事例を、挙げることが出来る。そこには、貧欲な収奪の組織的計画があるのである。(略)

 さて、お次はアーソン・グレブスト「悲劇の朝鮮」より抜き出してみる。

(略)ドイツ領事はまっすぐにこれらの十字架に向かって馬を走らせたが、そのうちの一本の前にふと止まった
「これがキリスト教のシンボルである事はお判りでしょう」
と彼がたずねた。
「ここで何が起きたか見当がつきますか?」
私が判らないと答えると、彼は次のように説明した。
「もしこの十字架が保存さえ出来れば、これは日本人が朝鮮占領中に起こした最も悪辣な行為の記念碑となることでしょう。白い十字架のたっているまさにこの場所は、三人の朝鮮人農夫が日本人に土地を強制没収され、その復讐として最近完成した鉄道の破壊を計画し、それが発覚され無残にも銃殺に処せられた場所です。
 この十字架3本に体を縛られた三人の哀れな罪人がここに立ち、でこぼこ道の向うに日本の軍人と彼らの指揮官が整列していたのです。時間となって射撃命令が出され、軍人達は57発の銃弾を浴びせました。朝鮮人たちは蜂の巣のようになって死んでゆきました。
 死体はここに6日間放っておかれました。死体の運搬は禁じられていたからです。やっと埋葬のため死体を移そうとしたときには、禿鷲と肉食鳥類に顔をついばまれてしまっていて、身元すら確認できない有様でしたよ」
 私はしばし無言でつっ立ったまま、この悲劇の場所を眺めた。色んな想念が頭を駆け巡った。朝鮮で見る日本人の員書は、本国のそれとあまりにもかけ離れていた。本国ではあらゆるものの外面が魅力的な美しさを持っていて、その裏面を考えさせるような隙がなかった。ところがここではついに、その本当の姿があらわれたのだ。日本の残忍と冷酷を赤裸々にうかがい知ることが出来た。
 世の人々が日本を西欧のように開化した国だと思ったら、それは間違いである。確かに日本人は早い頭の回転と知恵を生かして大きな力を振るってはいるが、私達西欧人の見るところ、彼らが西欧文明の到達点にやってくるには、まだ何千マイルも走らねばならないだろう。

 幾分長くなったが、勝手に強制収奪しといて収奪に一寸でも逆らったらこーなるという見本を出さないと全く説得力がないので敢えてここまで拾い上げた。なぜ当事者である日本人や半島の方々のものを取り上げず第3国、つまり西欧のルポを取り上げるのかといえば、直接利害に関わっておらず第3者の立場から物を見ることが出来るだろうと判断したからだが、やーこれは酷い。統治下においてもこの有様だ。ましてや戦闘状態ならどうであったかなんて容易に予想がつくだろう。まあ当事者のものを取り上げても良いんだけど、例えば内田良平なんかは韓国合邦なんかを打ち出していたのだが、その初期の頃には政府と手綱を取っていたにも拘らず、次第に政府の無法が明らかになるにつれ失望し、生涯一度も「日韓併合」という言葉は使わなかったし。
 何故にここまで出来たのかという思いが出てくるのだが、やはりここ数日繰り返しているが、「日本こそは東洋の覇者であり盟主である」という根拠のない思い上がりと他国に対する侮蔑が根っこに育っていると思うのだ。で、それが決定的になったのが、明治維新だったのではないか?と思っているんだけど。それはまた長くなりそうなのでいつかの講釈にて。

朝鮮の悲劇 (東洋文庫 222)

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悲劇の朝鮮―スウェーデン人ジャーナリストが目撃した李朝最期の真実

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