日々雑論 ウサンクサイケイの惨刑抄は相変らずヒドイ

 ウサンクサイケイ新聞をネタにしている時点でしょってからやる気出ないんですが、相変らず内容が酷いというのはいつもの事なんだけど、今回はとりわけ酷い。まーウサンクサイケイの方針が企業とオカミに従順に従うロボットの大量生産であるためある程度の予想はついていたんだけど、ここまで酷いと「これで全国紙かよ?」と疑ってしまったりもする訳だ。
 東大安田講堂事件に代表される一連の運動は、日本の近代と現代の境界線でもあるし、日本において思想が経済に完全に敗北した瞬間でもあるんだけど、ここで思想としての日本の性質の悪さをあげつらっている訳でもあるし、この一連の運動を考えてみるのは価値があることだと思う。
という訳で、今回のウサンクサイケイ抄全文

 「あの東大がこれほど国民に身近なものになったことはない」。そんな皮肉が聞かれたのは昭和44年のことである。1月18日と19日東大の安田講堂などを占拠した全共闘の学生たちと、排除しようとする機動隊との間で激しい攻防戦が繰り広げられた。
 ▼催涙ガス弾や火炎瓶が飛び交う攻防戦は、最後の安田講堂の「落城」まで35時間近くに及んだ。テレビ各局はニュースや特番で生中継し、視聴率は最高で約45%に達した。だから東大に縁もゆかりもなかった人でも、学部や建物の配置に詳しくなってしまったのだ。
 ▼結局この年の東大の入試は中止になる。2日間の攻防で逮捕された630人余りのうち、東大生は40人足らずだった。全国の全共闘運動にとってここが「決戦場」となったのである。「落城」を機に、運動はまるで潮が引くようにして沈静化していったのだ。
 ▼その決戦からちょうど40年、有名語化した「全共闘」世代の大半も企業では定年を迎えている。そんな節目のせいかテレビなどで運動を振り返り、総括しようという動きが盛んだ。だがノスタルジアに浸ってみたり、自らを正当化したりというのなら興ざめな思いがする。
 ▼というのも、嵐のような運動の陰には何倍もの「被害者」がいたからだ。入試中止で浪人生活を強いられた受験生はまだしも、暴力的に勉学の場を奪われた学生や、貴重な本や資料を損壊された教官も数多い。東大の攻防戦でも多くの警察官が傷ついている。
 ▼だが、そのことをまず謝ってからという全共闘世代にはあまり出会わない。昨日、40年後の「戦場」を確かめようと本郷の東大を訪ねると、ちょうどセンター試験の最中だった。正門の前には、あの時とまったく異質の緊張感が漂っていた。

 恥知らずのチラシの裏の書き殴りもここまで来ると堂々と開き直ってご立派ですな。 
全共闘」の世代が闘争が終わるやとっとと転んで宗旨替えを行い、我先にと大企業や官公庁へ雪崩を打って就職したから「なし崩し」にずるずるになっただけだし、被害者と言うのならジュラルミンの盾とヘルメットと散水車等で完全武装した警官隊相手に日用品や廃材などで精一杯の抵抗を示した側だ。むしろ全共闘世代を非難するのであれば、運動終息後の我先に争った無節操な転向や、その後のバブル経済でのやりたい放題、バブルが弾けた後での巧みに責任を回避する無」責任さ等、当時の行為に対しての「良心のかけらもない背信行為」こそ非難するべきだ。
 さらに加えて言うならば、敗戦によるGHQ指導の下での各種の様々な実験的民主化政策が、ソ連の脅威や国共内戦による中華民国敗退などにより、対米従属、対共産化政策へ露骨に変化してしまい、中途半端に終わった事も非常に大きい。A級戦犯の岸が戦後も生き残り、首相にまでなっている事実を一つ取ってみるだけでも極東軍事裁判は所詮茶番劇であったのが伺える。
 まあ、結局は内ゲバや洒落にならない各々の派閥闘争で運動自体が下火になり、結局は各個撃破されてしまった格好になってしまったといった経緯からもわかるとおり、ただの「天下取りゲーム」と見られても仕方ない部分も多々あるが、それは団塊世代の持つ強い権力志向も作用したのだろう。
 この「無節操な転向劇」がその後の世代に与えた影響は非常に大きく、所謂ただの世代間格差では済まない問題でもあるんだけど、それはまたいつか取り上げる事として、そういった意味ではまさにウサンクサイケイ新聞は「日本的」な新聞であり、その胡散臭さ、無節操さと奇妙不可解さ加減には改めて感心するんだけど日本の持つ病理を見せてくれるという点ではこういったチラシの書き殴り作文だらけの新聞も一つくらいは存在するのも仕方がないのかもしれない。