日々雑論 最暗黒の日本

 松原岩五郎じゃないし、勿論こちとらただの駄文であり、あちらは明治時代の貧困ルポルタージュとしての貴重な資料なんだけど、まあ、見出し位は偉大なドキュメンタリールポの先人にあやかってみてもいいだろう。
 まあずっと前のエントリで「今に大企業の製造業は遠からず没落する」みたいな事を散々言ってきた訳なので、今更「未曾有の大不況」だの「100年に一度の経済危機」だの盛んに報道されても「何言ってやがる。んな事ぁわかってた事じゃねえか」程度の認識しかない。
 まあ、自分に先見の明があるとかそんな事を主張する訳じゃないし、こんな事は別に少し考えたら素人でも読める事だから別に騒ぐ事の程でもないけれど、こーなっちまった一番の原因は、日本政府の極端な大企業依存体質にあると見た。
 地上波デジタル移行問題一つ取ってみても、これだけギャンギャン喚いているのに今ひとつ進みが遅いのは、一つにはそれだけ高価な買い物であると言うのがあるだろうが、もう消費者が、安くて長持ちするブラウン管テレビから「半強制的」に買い換えさせる事で「消費」を促そうとする「家電製造業擁護策」の一つでしかないのを見破っているからというのもあるだろう。
 製造業が今のやり方でこれからも伸び続ける為には消費者にモノを買い続けてもらわねばならないが、モノが溢れりゃ「あるから別にいらねぇよんなもん」となるのは自明の理だが、それに対する企業側の回答が一定期間で何処かがイカレる悪名高き「クソニータイマー」こと「ソニータイマー」だったり、4年に一度で飽きさせ、古ぼけさせ、マイナーチェンジモデルを買わせる手だったり、中古を半強制的に手出しできなくしようとして大失敗した「PSE法」だったりした訳だ。まあトマス・ピンチョンの「重力の虹」なんかに出てきた絶対に切れないために闇に葬られそうになる永久電球バイロンのエピソードなんかがそのものズバリで物語っているのだけれど、消費者を舐めすぎた大企業の大失敗と言うところか。
 それはさておき
 何度も何度も述べている通り、日本の今までの社会保障政策は「企業任せ」であり、行政は「各企業」に対して手厚い保護や各種の公共事業を振る事で間接的な社会保障をしていたに過ぎない。要は、「行政−大企業」ラインから外れた場合の社会保障は極めて脆弱であり、バブル崩壊までは「行政−大企業」ラインから外れた方々の存在が視界から外れていただけに過ぎない。
 「格差社会」と呼ばれて久しいが、この「格差社会」と言う言葉は今ではすっかり市民権を得たように思える。が、ここに大きな罠が潜んでいる感じもある。
 お前は一体何が言いたいんだよと言いますとですね、各階層に「格差」を生じさせる事で「格差間」での連帯を防ぎ、一つの強大な力となるのを防いでいるのでは?と思ったりした訳で。まあ、よくあるインボウロンなので聞き流してくださって結構ですが、実際「自己責任論」がこれだけはびこり、派遣村に関しての「責任が甘い」という一連の発言や報道などを見ていると、残念ながらあながち外れてもいない気がするんだけどなあ。前からあったけど最近とみに増えてきたのが「低所得者層が生活保護者層や派遣斬られ層を叩く」という事態だし。
 「低所得者」層の気持ちとしては「こちとらがこんなに頑張って働いて雀の涙程の収入しかないのに奴らは楽して生活しよって」という感情があるだろうし、「派遣斬られ」層側にしてみれば、「俺達は職を斬られて明日をも知れぬ身なのに奴らはちゃんと保障も各種保険も受けられる」と思ってしまうのも容易に想像がつく。
 これが「貧困問題」とひと括りにしてしまえば低所得者層も派遣斬られ層も生活保護者層も共通の問題として認識もされようが、「格差問題」と片付けられるとそうもいかない。で、何が問題かというと、この一連の「格差問題」が単なる「貧困問題」で片付かず、昔から綿々と今に繋がっている日本での「差別問題」に繋がって見えてきてしまう所にある。格差間での連携を絶つ事で、貧困層が一つに纏まるのを意図的に防いでいるんじゃないかという事だ。 
 昔では上は「天皇家」から下は「被差別階級」に到るまでの縦のラインと、数々の村落共同体での「ムラ」社会での「横のライン」からなる縦横無尽に張り巡らされた「社会制度」としての差別問題から、上は「大企業の御曹司」から下は「その日暮の生活保護受給者」に到るまでの「経済的な」縦のラインと、メディアなどが構築する「世論」としての「横のライン」といったように、見えてくる構造こそ違えども縦と横のラインから差別問題が発生していると言う点に於いてはなんら変わらないように見えて仕方がない。