日々雑論 行ってきた!アヴァンギャルド・チャイナ

 まー世間では民主党代表が小沢氏から鳩山氏になったとか新型インフルエンザがどーだとかいろいろあるようだけど、こつこつノルマの本を読みつつひたすら充電の毎日ですな。というより息抜きで始めたAUのゲームのエターナルゾーンがなかなか面白くて止められねえというのが一番大きい要素のような気もするが。それはさておき。
 名古屋の病院に行く足で、愛知県美術館での展覧会「アヴァンギャルド・チャイナ」へ行ってきたのだが、アートという領域での前衛運動を、中国という巨大な存在がどう捉えているのかが非常に興味があったので、それを体験できるかどうかが自分のキモだったわけなんだが、各々の前衛芸術運動にある程度の容認をしつつ、注意深く見守っているのではないのか?という感じかな?という気がする。
 芸術というのは「感じるか否か」というのが非常に大きい訳なんだけど、そういう意味からみても今回の展覧会は面白いものだったし、前衛の名に恥じないものだったと思っている。確かに手法としてはボブ・フラナガンやビデオアートなどの方が先といえば先なんだけど、他では既に説得力を失い、手垢に塗れて古びてしまった感のある「前衛」そのものの疾走を身を持って味わう事が出来た点も収穫だったのだが、これらの一連の前衛運動を、力で押し付けるのでなく、注意深くコントロールしようとする存在が脳裏をちらついてしまったのも事実である。
 これらの一連の芸術運動が文字通り起爆剤となり、さらなる波を呼び起こすのか、それとも徹底的に叩かれて終わるのか、適度にコントロールされ骨抜きになってしまうのか、それは誰にもわからないが、恐らくは注意深く見守っているだけではないだろうか?という感じがする。まあ、そこに中国の巨大さを感じる訳なんだけどね。
 勿論各々のアーティストに対しての対応として、過去に於いての弾圧やら逮捕やらの経歴はそれこそ数え切れないほどあるんだけど、運動自体に対するカウンターがあるのかどうかと言われると、一寸それは感じられないのだな。そのような弾圧があるのであれば、第一こんな展示会なんかできる訳が無いからだ。
 既に言葉自体が古びてしまい、何の響きもなくなりつつある感のある「前衛」が、中国においては非常に生きた、重みのある言葉として鳴動しているのを肌で感じる事が出来たのは何よりの体験だったし、それを中国という社会がどう飼いならすのか、はたまたロシア・アヴァンギャルドのように役目を終えたら抹殺されるのか、戦後日本のように高度情報化社会の中で自然に流れて消え去るのか、もしくは全く新しい第4の流れが出来るのか、興味は尽きない。