日々雑論 なぜウォチ対象としてのネトウヨの存在はこうも我々を魅了して止まないのだろうか?

 まあ、変な政党のキッチュが現れて街頭演説してたりとか、実際に閑静な田舎町で寝転がってるときにそんな事されても鬱陶しい事この上ないだけなんだけど、悪趣味ハンターとしては喰らいつくのに格好のネタな訳だったりする。
 自称国を憂う酷死様のオコチャマ薀蓄は聞いてたり見てたりするこっちが恥ずかしいんだけど、例えばウサンクサイケイ新聞の数々のチラシの書き殴りとか、それに呼応するオコチャマのニッポソ語とか、こっちに絡まれると鬱陶しいの極みなのだが傍から野次馬根性丸出してみている分には結構楽しい。
 まあ、それが悪趣味ハンターの悪趣味ハンターたる宿命でもあるんだけど、前々から疑問に思う事が全く解決されて無いんだよなー。なので、面白みもへったくれも無くなりつつある。
 だって言ってる事みんな一緒だもん。
 という訳で、何故飽きもせずに同じ事ばかり繰り返すのだろう?とも思ってみたが、なんか似たようなもんを見つけて思わず感じ入ってしまった訳だ。
 何かって?
 暴走族の特攻服
 これらに似た匂いを感じ取れてしまうのだな。
 こちらとしてはまずお引取り願いたいと切実に思うのだが、一観客としてみるならばこの上ない悪趣味ハントを楽しめるという存在だ。

 (略)悪趣味は無自覚のほうが味がある。
 それは「見せる」ために作られたものとは限らない。街を行く、おばさん達の独特なパーマの中に、不思議な色のスパッツの中に、そして観光地に、味のある悪趣味は散在する。意図的に、ではなく、あらがいがたく、気がつけば悪趣味の磁場の中にいる、むしろ自分では「いいセンス」とすら思っている。そんな呆れ果てたパーソナリティの中にこそ、我々をむせさせる「くそのゆげ」の如きパワーが存在するのである(略)

 ユリイカ別冊「悪趣味大全」より抜粋したが、おおよそ学問的には一文の価値も無い東中野ナントカの変なナンキン本とか、それに群がる変な人々や、鬱陶しい事この上ない「たかじんのそこまでいって委員会」とかいう鬱陶しい番組とか、大阪腐知事ハッシッシなんかも似たようなもんだが、そういった鬱陶しい事この上ない癖に傍から見ると我々悪趣味ハンターをひきつけて止まない、その無自覚な悪趣味の「極上の味」を我々は求めているのだろうなあ。