日々雑論 歴史修正主義に関する考察 32 気分はもう「総力戦」その1

 とまあ、大友克洋の「気分はもう戦争」からのパクリから始まりますが、オイラ言い切っちゃうけどね、所謂歴史修正主義という名の「日帝主義史観」において、決定的かつ最も重要な一点が欠けている。
 アジア太平洋戦争は「総力戦」であった。
 この、最も当たり前且つ最も重要なただ1点が日帝主義史観に徹底的に欠けている為に、そんな事ただの寝言にしかならねえのが子供でもわかりそう摩訶不思議なオダイモクが「未だに」信仰され続けているのにやっと気がついた。
 ごく簡単に寝言を並べてみよう。
①日本刀をはじめ、旧軍の貧弱な装備ではとても1都市を丸々殺戮と阿鼻叫喚の嵐に買えることはできない。
②旧軍は大陸無敗であり、それが破れたのは卑怯な禁じ手を使ったからである。
 ①に対しては主に南京虐殺三光作戦に対する返答かと思われるが、それほど貧弱な武装ならあれだけ短期間の間に国民党軍を重慶まで押遣る事はおろか、半島での義兵闘争の時点で既に返り討ちにあってるってばさ。それなのに②の大陸無敗、とはよく言ったもので最強の矛と盾を同時に売りつける阿呆な商人もびっくりだ。
 ②に対しても結果的に大陸から完全に駆逐された言い訳なんだろうが、近代戦は総力戦であるという事を「これっぽっち」も理解していないが為の「可哀想な」お子様の寝言でしかない。
 恐らく「日帝主義史観」に頭の毛の先から足の爪先までずぶずぶに使っている、おべんきょうをする気のない、頭のおかしい方々の聖書といやあよしりん戦争論だろうが、世間一般で言えば戦争論といやあクラウゼヴィッツだし戦争は政治の延長だ。
 で、いかに相手を(無理矢理だろうがすすんでだろうが)屈服させるかが政治の原点であるならば、それを腕っ節で行うのが戦争であり、文字通りあらゆる手段で屈服させようとするのが総力戦と言う訳だ。
 それじゃあまりにも拙すぎるてんで国際法とかいろいろ出来たわけだけど、どーも「総力戦」を理解してない頭のお目出度い方々が一部にいらっしゃるようで。
 なんでこんな事思うようになったのか、これから暫く述べていこうと思ったり。
 では、そのとっかかりとして、大陸側の方針を見ていくことにいたしましょう。
 大丈夫大丈夫、高校の世界史程度の事しかしないから。
 第2次国共合作により、抗日民族統一戦線が出来上がりますが、目的と言えば唯一つ、日帝を大陸から駆逐する事、日帝に対して屈服しない事、つまり、「どんな事があっても日帝に負けない事」が目的だ。まあ、くどい程に述べちゃうけど重要だからね。
 で、オイラ、アジア太平洋戦争は「総力戦」だと言った。
 総力戦と言えば、軍事だけでなく経済も含めた上での話だけど、この「経済」も含めた上で今からちと足りない頭をひねってみる。
 よく、「総力戦」と言うと戦車とか戦艦とか飛行機とかの「デカブツ」を作る能力としか捉えられないように見えるんだけど、それから一寸視点をずらして普段我々が日常生活を営む上での「経済」、つまり、飯食ったりトイレ行ったりテレビ(この時代はテレビねぇな)見たりといった点から「総力戦」を見てみようと思うのだ。
 盧溝橋事件から上海戦、南京陥落まで追ってみるとよくわかるんだけど、地方の頑強な抵抗にあいながらも国民党政府の生産力の要であり大生産拠点である上海の壊滅振りをエドガー・スノーから引っ張ると…
 近代工業の7割、重工業5割、発電所7割!
 とんでもない数字である。
 ただ、ここで二つの言葉を思い出そう。
 1 アジア太平洋戦争は総力戦である
 2 戦争とは政治の延長である
 これだけの生産拠点を潰したという事は、裏を返せばそれだけ旧軍が現地で生活する術を潰したという事である。米帝が徹底破壊した敗戦後の日本で大成功を収めたのは徹底破壊後のチョコレート戦略が功を奏したからであって、当時の日本政府は傾斜生産方式で国民無視、虫けら同然の庶民の生活に気を使うはずがない。
 更に加えて、総力戦といやあ補給だが、「現地調達」! 早い話が略奪犯殺だ! 生産拠点を潰されて、ただでさえ食えねえところへ持ってきて略奪犯殺とくればその地で生きる人たちの恨み骨髄どころか血の1滴まで染み渡るのは間違いない話であり、文字通り草の根の政治レベルで「絶対東洋鬼に負けねえぞ!」という気運が燃え広がらない方がどうかしている。
 さて、次は当時も今も日帝史観は変わらネエなオイ、という処から続きます。