日々雑論 歴史修正主義に関する考察34 半島にはキリスト教徒が多いですね

 まあ、衆院戦は大方の予想通りというか何と言うかで民主党の圧勝、自民党の「下野なう」が決まった訳で、我等がウサンクサイケイ新聞の誤爆しまくりの援護射撃やネトウヨ諸君のネガティブキャンペーンも空しい自爆に終わり、ネトウヨ残党や通称3K「下野なう」新聞(という体裁をとったウヨ同人ミニコミ紙)が報じるひがみ根性丸出しの負け犬の遠吠えを取り上げるのも面倒くさくなりつつある今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
 とまあ、時事ご時節の挨拶はさておいて、まあ、本格的に半島の近代史を齧る以前の事なんですが、半島にキリスト教徒の方々が結構沢山居られると言う事実に対して、一寸不思議に思っていたときがありました。東南アジアのようにポルトガル・スペインやオランダからイギリス、アメリカの植民地になっていた訳でないのにどうしてキリスト教徒の方々が多いの?と疑問に思っていたのだが…
 半島の近代史を齧るにつれてある程度納得がいったわけで。
 半島でのキリスト教徒の多さは、日本、まあ旧日帝が行った数々の武断支配と切っても切れない関係にあったという事にやっと気がついた訳だ。誠にもって恥ずかしながら。
 イザベラ・バード等を読むとわかるのだけど、朝鮮国王やその周辺の特権階級以外の、いわゆる在野的活動においての海外宣教師が果たした粘り強い布教活動が事細かく記されていて、成果を結びつつある事までかかれている。
 他聞の例に洩れず、宣教師の方々の周囲は宗教的な拠点と言うよりはごく簡単な医療活動や、地域の医療基地的な色合いが強かったりするのだけど、布教活動という点において旧習や迷信とぶつかり合う以上それも仕方がない事であるし、またごく自然なことでもある。
 で、ここからが声を大にして言いたい事なんだけど、声無き方々…日帝の武力統治下に置かれた後、有象無象の迫害を受け、三・一独立運動などで大量に虐待、虐殺された半島の声無き方々、特にキリスト教徒の方々が多数弾圧されたのだけど、旧日帝が完全支配を目論む前からの海外宣教師などの活動により、学生や地方知識人などの現地準インテリ層が思想面において、つまりソフトウェアとしての近代思想を欧州のキリスト教から輸入していていたために、前時代的な帝国主義支配に対しての免疫が形成されつつある中で、旧日帝による力と蔑視の支配が巻き起こったものだから、旧日帝による支配は、それがどれだけ美麗字句に飾られていようとも、旧支配層からは既存の秩序と平穏を破壊する存在として、進歩的知識人からは(キリスト教的な西洋的博愛、進歩の象徴とは遠くかけ離れた)自らの将来の権利を根こそぎ破壊し収奪する存在として既に見抜かれていたとしても不思議ではないだろう。
 何が言いたいのかと言いますとですね…
 草の根レベルで当時最新の近代民主主義や西洋博愛主義の理念が輸入されていた土壌において、前近代の暴力と蔑視による帝国主義的かつ日本の土壌で成長を遂げたいびつなムラ的支配は破綻、もしくは強力な抵抗にあうのは目に見えているにもかかわらず愚かにもそれを実行してしまい、案の定強力な抵抗を受け、更にそれが破綻した後々までも歪みと遺恨を残している訳だけど、キリスト教は半島の方々にとっては「ムラ的日帝主義支配」に対する精神的な拠り所だったのだろうと思うのだ。
 だからこそ、欧州の植民地で無かったにも関わらず、あれだけキリスト教が広まっているのではないだろうか。