日々雑論 在特会とかそれに賛同する阿呆とかに関しての色々な雑感

 ウサンクサイケイ新聞のウサンクサイケイ抄を加工して遊ぶのも、結局同じことの繰り返しだから一寸飽きたのと、最近の在特会の鬱陶しさはウサンクサイケイ新聞の鬱陶しさをはるかに突き抜けてとっくの昔に不快を通り越してしまっているので、年納めに相応しいかどうかわからんが取り上げてみる事にしてみようと。
 なんか「在日特権」とかいうものがあるとかないとかでまず、揉めているみたいだけど、揉めたりする事自体鬱陶しい。反吐が出る。
 こんな事で揉める事自体民度の低さの証明である。
 上は天皇から下は賎民まで縦横無尽に張り巡らされた「縦」のシステムと、氏族同士ムラ同士で構成された「横」のシステムで成立するような「日本」という社会で、システムからはじき出されてしまっている方々の「システムからの攻撃に対する自衛手段」な訳だ。異物に対する排除、攻撃が当たり前のように行われ、更にそれが社会のシステムとして機能している以上、その土地で生き残るためにはそのシステムに負けないものを作り上げないといけない訳だし。
 で、これは未だにアジア太平洋戦争の敗戦を「終戦」と言いくるめ、敗戦直後から未だに戦争に負けた事を認識していない事とも深い関係がありそうだとも思っている。以下、岩波書店「世界」2009年12月号より抜粋

(略)鴨緑江をわたり朝鮮に入ったとき、「朝鮮独立旗」が掲げられ、列車に向かって「嘲笑と示威」が投げかけられたことを書き留める。「敗戦の酷薄な現実」とともに、森は「ばかな人たちねえ。自分の力で勝つたのでもないくせに」と記す(略)(森文子「脱出行」より孫引き)

続いてもうひとつ。

(略)先の李庭植「戦後日韓関係史」は国会議員・椎熊三郎の次のような言葉を伝えている−「われわれは、終戦まで日本に居住していた台湾人と朝鮮人が、まるで自分たちが戦勝国の国民のように威張り散らしているのをこれ以上黙って見過ごすわけにはまいりません」

下は一般市民から上は国会議員まで、当時ですらこのような認識だ。敗戦時ですら現実を受け入れる事無く、おおもとのシステムが生きている以上、未だにそのシステムが根を張っているとしても不思議ではあるまい。敗戦と言うショック療法を経験してもなお変わる事の無い根っことしての、「縦」と「横」のシステムが見事に生き残っている以上、システムから排除される側が「抵抗手段」を用いて生き延びようとしたとしてもなんら不思議ではない。問題は、システムから排除されている存在をすら消し去る事で己のささやかな優越感と敗戦の認識を回避しようとしている連中であり、未だに「敗戦コンプレックス」を引きずっている連中とも取れる。
 連中の最近の言動を見て一発で感じるのが、「幼稚」さである。
 例の学校の公園の件にしても、また片方がいい年した大人だから話がややこしくなるのだが、子供の秘密基地の取り合いにしか見えなかった。で、ただの子供同士の秘密基地の取り合いならま、仲良く遊んでいるんだから放っておけ、ですむのだが、片方が大人、しかも連中の行動原理が差別観と敗戦コンプレックスなのだから話がややこしくなる。前に連合赤軍に似てるなとも思ったりもしたのだが、こうやって考えるとはるかにこちらのほうが低レベルだな。
なんかあまりまとまりが良くないと思いつつ、それでは皆様、良いお年を