日々雑論 歴史修正主義に関する考察 35 少し前の話題ですが

 日中歴史共同研究の成果として「南京事件」が日中で一致したのはまあ取りあえずの一歩前進なわけですが、夏淑琴女史裁判でのみっともない敗訴の件といい、アカデミックな舞台ではすでに決着がついているにもかかわらずなおも南京大虐殺幻論などといった「世迷言」が雨後の竹の子の如く引っこ抜いても引っこ抜いてもまたぞろ顔を出すと言うのは、国内における「政治的色合い」と日本と言うシステムの根幹を成す「ムラ的社会」における「異質な物への差別的感情」、まあ平たく言ってしまえば「オラガ村コソ一番ダッペ」という物の見方が微妙にゆがんだ形で現れているように見えるわけで。
 何の根拠も無く「オラガ村コソ一番ダッペ」という発想がどこから出るのかは全く謎なんだけど、別に思うのは勝手だがその「根拠も無い勝手な思い込み」を唯一無比の基準として史実を解釈しようとするのはどう考えても吹飯物だ。
 もともと「ナショナリズム」を下手に振りかざせばふりかざすほど周辺の平和や秩序が乱れると言うのは近代から現代に至るまでの歴史のおべんきょうをしていれば誰でもわかる事であって、中欧や中東にしても、強大なオスマン−トルコの治下の下、極めて緩やかな部族制社会を営んできた地域に欧州帝国主義国家が自らのパワーゲームに有利なように「ナショナリズム」を持ち込んで周辺地域の富を収奪した結果に他ならない。
 ただ、国内を纏め上げて一つの目的に突進させる手段としては「ナショナリズム」というものは有効に機能する手段な訳ですが、纏め上げると言うことは裏を返せば「異質なものを徹底排除する」という事でもある。
 このネタ続く
追記:id:Apeman様のサイトにおいて2月2日のエントリで詳細が取り上げられております。興味のある方はこちらを