【出張】 戦争被害者と産経新聞 戦争を反省し戦争被害者を悼む心はどこに

 【出張】
 民主党政権として初めて迎える15日の終戦記念日に、菅直人内閣の全閣僚が靖国神社に参拝しない考えを示した。画期的なことだ。
 自民党政権時代、平成18年8月15日に小泉純一郎首相が靖国神社に参拝して以降、首相の靖国参拝は途絶えていたが、一部閣僚は参拝していた。全閣僚がそろって参拝しないのは、河野談話村山談話が発表された後の、極右反動閣僚による勝手な靖国神社参拝とそれによる混乱を避けたためとみられる。 
 菅首相は6月の参院本会議で、「A級戦犯が合祀(ごうし)されている問題などから、首相や閣僚の(靖国公式参拝には問題がある。首相在任中に参拝するつもりはない」と明言した。仙谷由人官房長官も10日の会見で、「閣僚は公式参拝を自粛するのが、従来の日本の政治の考え方だ」と述べた。
 菅首相や仙谷官房長官靖国参拝しないのは、それぞれ考えがあってのことだろうし、他の閣僚の行動に対しても指示をするのは、政府閣僚として当然である。
 首相が靖国参拝しない理由とする「A級戦犯」合祀問題は民主党の政策集にも書かれ、靖国神社に代わる無宗教の国立追悼施設の設置を主張している。これは中国や韓国などに一番の被害をもたらしてしまった近隣諸国などに率先して配慮し、戦後、今までくすぶり続けていた戦犯問題にようやく日本自らが決着をつけはじめた事になる。
 戦後の共産主義に対するレッドパージと保守反動の嵐の中、「満州の鵺」とまで恐れられ、当時商工省大臣でもあった昭和の妖怪、岸伸介を筆頭に、戦前の右翼の大物で、A級戦犯となりながらも不起訴、後々まで日本の政治の中枢に君臨し続けた笹川良一などが九死に一生を得たのは有名な話である。
 靖国神社には、246万余の戦死者が玉石混合、好む、好まざるにかかわらず一緒くたにまつらされているが、例えばシンガポールにある血債の塔は、シンガポール陥落時、旧日本軍に連行され、簡単な選別だけで非常に多くの住民が虐殺された方々を弔う記念碑が建造され、シンガポールの精神的シンボルとなっている事からも判るように、先の戦争における日本の責任問題は決して中国朝鮮韓国だけの話ではない。
 このうち、213万余は先の大戦の戦死者という事だが、元をさかのぼれば甲午農民戦争において、東学党軍がろくな装備も持たず、その宗教観から「逃げるものは追わず」の姿勢を貫いたのに対し、日本軍は、近代兵器で文字通り農民軍を蹂躙し、更に物資現地調達という、兵站無視の稚拙ここに極まれる信じられない戦略から、行く先々で調達という名の略奪を行った。この基本方針が敗戦まで変わる事は無く、国のためと称して異国の地でやりたい放題、血で血を洗う虐殺や抗争を受けた近隣諸国に対し、当事国の最高指導者が哀悼と謝罪の意を表すことは当たり前なのである。それを無視して自国の被害ばかり殊更に喚き立てる産経新聞の論調は狂気としかいえない。
10日の閣議後会見で、参拝しない理由に「近隣諸国の感情」などを挙げた閣僚もいる。閣僚なら外国のことより、まず、遺族や国民のことを考えるべきだろうというのであれば、彼らを戦地へ狩り出したのは時の日本政府であり、政府の指導者達である。犠牲者追悼の名の下に当時の政府の責任までもうやむやにしようとする産経新聞の身勝手な論調は断じて許されるものではない。 
 自民党政権時代、近隣諸国への配慮から、閣僚の靖国参拝は減る傾向にあった。以前は、首相が閣僚を率いて靖国参拝するのが恒例のパフォーマンスだった。コスプレオタク旧軍オタクの見守る中でのこのような異常な行事は正直見たくも無いのだが、せめてこのようなパフォーマンスを行うのであれば、日本の戦争責任を明確にし、近隣諸国への謝罪をきちんと行ってからにしてもらいたい。