日々雑論 改めてもう一度東洋近代史を真面目に手持ちの書籍でつついてみます

 えー、本来ここは「腐れ左翼面白主義者」を自称するブログ主が、面白そうだ、とか、なんじゃこりゃ?とか、いろいろ思った事をてきとーにのんべんだらりと述べていく所、というか、初期はかなり違ったんですが、今はその本性がすっかり露になってしまっているところでもあります。
が、
 例の管総理大臣の日韓併合100年にあたっての談話のおかげで、物事を知ろうともしない阿呆連中がまたぞろギャンギャン喚きだしているわけですよ。
 で、本来ならばやっと戦後処理が始まったのかな?と判断してもよいこの談話とこれからの進展に対し、ウサンクサイケイ新聞とかを中心とする阿呆連中がまたヘンテコリンな戯言を喚き散らしているのははっきり言えばノイズでしかないんだけど、どーもこの「ノイズ」がやたら気になって仕方がない。
 という訳で今一度初心に帰って、今まで挙げてきた書籍や資料改めて漁りつつ、また中途半端で放り投げていた事も含めて、暫く歴史修正主義に対するカウンターとして、近代東洋史、それも現在入手が比較的容易なものを中心に取り上げていく事にしたいと思います。
 ただ、入手が容易といっても展々社とかの東中野修道本とかの、「学問として論ずるに値しない」と裁判所に一刀両断されちゃったものとか、「戦争論」とかいってもクラウゼヴィッツじゃなくて、よしりんとかが出てくるようなレベルではないので、探すのがちょっと面倒かもしれませんがそういう場合は図書館で探すとか、アマゾンで注文するとかしてください。
 という訳で、まずは日本の半島当地が実際はどのようなものだったのか?
 これを見ていかない事には話にならない。
 ネトウヨ諸君は「日本のおかげで近代教育が行われたのに」だのといろいろ煩いが、それはおいおい見ていく事にして、大元の骨格、つまり日本の植民地経営の最終目的を見ていくことにしたい。
 日本人が狙った植民地経営の究極の目的とは、日本民族による他民族の抹消である。
 これは断言してもいい。
 半島における同化政策が序実にそれを物語っている。
 以下、前にも取り上げたがもう一度F・A・マッケンジー「悲劇の朝鮮」より一部抜粋。太字赤字はこちらで加工

(略)しかしながら、日本の狙いとするところが、韓国の全面的併合とその民族性の完全抹殺以外の何者でもないことが次第にはっきりしてきた。当時韓国にいた最も有力な日本人の一人は、この事実を率直に私に打ち明けた。彼は私にこう語った。
 
 「おことわりしておきますが、これは私の公式見解ではありませんよ。けれども、もしあなたが、日本の政策の結果として何がもたらされるかを個人として私に尋ねるとすれば、私はただ一つの結果を想像しているだけである、と言いたい。それには何代もかかるでしょう。だがきっとそうなるに相違ない。韓国は日本に併合されるでしょう。彼ら韓国人は我々の言葉を話し、我々と同じように生活し、我々の完全な一部分となるでしょう。いったい植民地支配には二つの型があるだけです。一つは、その土地の民衆を外国人として統治するもので、之は貴方達イギリス人がインドで行っている方のものです。従ってあなたたちのインド帝国は長続きすることは出来ない。インドはきっと貴方達の支配を脱するに違いない。第二の道は民衆を同化してしまうことです。これが我々日本のとろうとしている道です。われわれは彼らに日本語を教え、日本の制度を樹立し、彼らをわれわれと一つのものにしようとしているのです」と。

 これが日本政府のいわゆる「慈悲深い」政策なのである。きわめて普通一般に考えられているなまのままの考え方は、韓国全土を併合するという事であってその前作業を日本人の手中に収め、韓国人をして、勝ち誇った征服者としての日本人のためにきこりや水汲み人夫の様に働く、そういう地位に貶めるという事である。(略)

 きわめて乱暴かつ簡単に言ってしまえば、半島のニホンジン化、である。もっと乱暴に言ってしまえば「半島における民族文化の抹消」と言い換えてもいいだろう。異質なものを異質であるが故に異質であると認めた上で屈服させるなり共存させるなりといった形ではなく、異質なものを異質であるが故にその異質なものを消滅させ同化させてしまおうという事だ。誤解を恐れずに述べるならば「民族文化のホロコースト」である。
 我々日本人は、他民族の、基本骨格を抹殺しようとしたのだ、という事をまず、頭に焼きつかせておく必要がある。

朝鮮の悲劇 (東洋文庫 222)

朝鮮の悲劇 (東洋文庫 222)