]日々雑論 いつもこの時期はうっとうしい事この上ないんだが…
毎年この時期テレビや新聞の内容がは鬱陶しくて仕方ないんだけど、鬱陶しいをとっくに通り越して呆れて物の言えない新聞に産経新聞がある。で、ごく一部のカルトアイドル櫻井ヨシコタンがこんな事をほざいているらしい事をid:pr3様経由で知る。どーやらヨシコタンに言わせると36回も謝罪しているらしい。
で、毎回この時期になると鬱陶しいくらいに湧き出るこの手の話題に対し、id:Apeman様がエントリをあげているんだけど、全くもってその通りでありそれ以上のことは無い。
ヨシコタンが何をもって回数を数えた事に対して、余程暇なんだねご苦労さんとだけしか言葉が出ないが、なぜこれだけ謝罪する必要があったのかを逆に考える必要があるのではないだろうか。
謝罪した矢先にそれをぶち壊しにするイベントを行うからである。
「やられた事」ばかり連呼しているおかげで被害者意識が強すぎる。
ざっと思いついただけだが、大きな要素を占めているのはこのあたりではなかろうか。このうち、「謝罪した矢先にそれをぶち壊しにするイベントを行うから」についてはid:Apeman様が取り上げているのでここでは述べない。ここで声を大にしていいたいのは「やられた事」ばかり連呼しているおかげで被害者意識が強すぎるという事についてである。
昨日飯食ってたときに流れていたテレビの内容が東京大空襲とアウシュビッツに沖縄戦に原子爆弾だった。
一寸待て
東京空襲を挙げるならその雛形の重慶戦略爆撃をどうして挙げない?
沖縄戦を挙げるなら南京大虐殺はどうなんだ?
アウシュピッツを挙げるならシンガポール大検証も何故取り上げない?
原爆に対しての実験的意味合いを述べるなら731部隊も述べたっていいだろうに?
自身は加害者である、という意識が非常に小さく、「謝罪」となると首をかしげながら行うため、「謝罪後のそれをぶち壊しにするイベント」がある程度盛り上がるのだし、謝罪後のぶち壊しイベントに対する否定もインテリ層、つまりは近代史を多少なりとも学問として学んだ方々からしか出てこないのもそれらの行為を知らないもしくは知ろうとしない事が大きなウェイトを占めているのではなかろうか。
だからこそ、旧軍の加虐の事実に対して拒絶反応なりショックなり現れるのだろうと思うが、それらの事実から目を背けない事、まずはそこから始めないといけないのかもしれない。