日々雑論 南京大虐殺とシンガポール大検証の違い

 えー、林博史シンガポール華僑粛清 日本人はシンガポールで何をしたのか」を読み終えてからずっと頭にこびりついて離れない事がひとつある。
 非常に作業が機械的なのだ。
 南京大虐殺の手記や三光作戦の記録などを読んでみると生々しい事この上ない描写がこれでもかこれでもかこれでもかこれでもかという位に出てくるので、読んでるほうがいたたまれなくなる。まあ、一番最初に読んだ資料が平岡正明「日本人は中国で何をしたか」だったのだが、これも凄まじい虐殺の様子が生々しく記されていた記憶がある。学生時代に図書館から借りて読んだだけなので、手元に無いのがまことに残念だが。
 対するに「シンガポール大検証」であるが、南京大虐殺で見られたような生々しさのカケラも無い。「調査」と称して簡単な質問を行い、あるいはただ見た目だけで判断し、いとも簡単に殺している。南京大虐殺のように、己の優位をたっぷり味わい暴力に酔う事もなく、ただ、全く機械的かつ事務的に行われ、その作業ぶりはまるで家電の廃棄を見ているようだった。
 シンガポールでは戦闘終結後、極めて理性的であり、落ち着いた雰囲気であったと言われる。シンガポール大検証の一番の怖さとは、占領下の落ち着いた雰囲気の下で極めて機械的かつシステマティックに、何の感情も無く行われているところにある。裁判や取調べも一切無く、杜撰かつ馬鹿馬鹿しい選別により沢山の人が機械的に殺され、慰安婦にされ、財産を奪われたのだ。その一連の作業を読んで思い出したのが、工場の生産ラインで不良品を選別する作業だ。とても人の命を奪う行為とは思えないやり方で、淡々と事が進められている。
 敢えてもう一度言うが、その悪質さ、計画性においては「南京大虐殺の比ではない」と言わざるをえない。